HOME > 対談・真剣勝負 > 第10回 田原総一朗

タブーを越えて、時代の変動を見据えたい 思考停止という心地よさ    
           
既知に依存する官僚的論理から未来を作る論理力へ

日本の教育は後進型だ
出口  お話を伺っていますと、日本人のコミュニケーション能力の低さの問題は、今にはじまったことでもないんじゃないか。そう思えてきました。
田原  やはり島国という地理的条件は大きいでしょうね。「あ・うんの呼吸」なんて言葉が通じるのは日本だけですよ。
出口  そういうコミュニケーションの問題は、教育の問題に直結していると思います。
 つまり意志の疎通をはかるために言葉を用いて理解するのではなく、言われたことを理解することに力を注ぐ。そういう意味では、未だに日本は後進型の教育を抜け出ていないと思っています。
田原  後進型とは何ですか?
出口  西洋に追いつくことを目的とした教育が近代の出発点なので、教育といえば欧米の学問成果の翻訳の模倣。だから算数ならば計算力とか、ひたすら反復による暗記、記憶ばかりが強調されました。
 それが前回話題になった、指示待ちの子供たちを量産した背景にもつながっていると思います。詰め込みがよくないということで、ゆとり教育になり、それが失敗したとなれば、また詰め込む情報量を増やす方針に戻す。
 そうしたところで、何も考えずひたすら知識を吸収するシステムには変わりないわけで、要するに東大に行って官僚になるための教育モデルです。そういうのを壊していかないと、日本はもうダメじゃないかと思っています。
社会に正解なんてない
田原  学校は正解のある問題の解き方を教えます。教師は正解を答えられない生徒を叱る。
 でも、正解のある問題の解き方を教わったところで教育にならないわけです。そんなの世の中に出ればわかりますが、正解なんてないわけです。その場その場で自分で考えて判断していくしかない。
 だから想像力・イマジネーションをどう高めるか。コミュニケーション能力をどう高めるかが重要です。
 正解がある問題を解くのにイマジネーションもコミュニケーションも必要ない。とにかく暗記すればいいんだから。
出口  子供の生きるための能力を育てるどころか、削ぎとるのが日本の教育になってしまっているのかもしれませんね。
田原 僕は早稲田大学で講師をやっていますが、最初は誰ひとり質問もしない。講義が終わる時期になってやっと質問するようになる。こっちがさんざん挑発してやっと質問ができるという感じなんです。
出口  ひたすら一方的に、言われたことを聞くだけ。そういう教育をずっと受けてきたわけですから、質問できないのも仕方ないです。
田原  いまの話で思い出したんですが、小学校のときの算数で、「50人のクラスで体育の時間に帽子をかぶります。帽子には赤と白があり、赤い帽子を23人がかぶりました。白い帽子をかぶった子は何人いるでしょう」という問題がありました。みんな簡単に「27人」という。
 でも、僕はそういう答えはおかしいと教師に言ったんです。「忘れて来るのが何人かいるはずだ」と。それがわからないと答えなんて出せないと言ったら、「屁理屈こねるな」と怒られた。
出口  それはなかなか鋭い質問ですよね。それなのに質問が屁理屈だと思われる。そのエピソードから垣間見られるのは、思考停止状態にするほうが権力者にとって都合がよかったということです。
田原  そうでしょうね。G8だとか首脳の集まる会議に日本の総理大臣や財務大臣が行ってもほとんど発言しない。なぜか?
 日本人は正解を言わないと上の人間に怒られると思って、それが染み付いてしまったからですよ。だから何も言えない。
出口  そういう教育でうまくいった人たちが、エリートになっているわけですね。あらゆる問題を考えてこなかった。そのツケが一気に噴出しているのが、今という時代かもしれません。