HOME > 対談・真剣勝負 > 第12回 大迫弘和

従来型の教育では得られない強み 社会全体を巻き込む教育改革 学びの本質へ
第二部 社会全体を巻き込む教育改革

日本の教育の在り方を問う
出口  5年後に入試制度が抜本的に変わり、IB認定校が200校近くなる可能性が高い訳です。ご父兄の方には、この変化は「子どもたちの選択肢が増える」ことを示しているという認識を持っていただければと思います。今までは偏差値しか物差しがなかった訳ですが、「この子は頭が良いから東大」という進路だけではなく、国際的に活躍する子どもにしたいからIB認定校で学ばせて海外の大学を目指す……という選択もできるようになる。
大迫  「IBは、自分たちには理解しにくい異質のものだ」という思いが日本の教育界にかなり浸透していますが、IBが持っているものと、われわれがずっとこの国でやってきたことは、それほど違わないということはご理解いただきたいですね。
出口  本来あるべき教育は、世界中で変わるものじゃないですから。
 ところが日本の教育の現状が本来あるべきものとは程遠いので、バカロレアが来ることによって、教育界が激震するんじゃないのかと思われているのですね。
大迫  そのとおりです。「学歴主義が通用しなくなっている」という視点で見ていただくと、分かりやすいかと思います。学歴主義とは端的に言ってしまうと、「25歳ぐらいまでに作り上げた学歴で一生食べていける」ということだと思いますが、これだけ知識が常に更新されていくような流れの中では、それではもう生き残れなくなってしまいます。
 大学で力を開花させていくための土台作りが必要で、先ほど学習者像のところで申しましたように、IBはそれをやっています。「センター試験をなくして、一点刻みの判定をやめる」という最近の日本の流れも、考え方は同じです。そういう意味で、IB導入と、日本の文科省が考えている教育政策は、非常に重なり合いながら動いています。だから、IBは異質なものではないということがもう少し伝われば良いなと思いますね。
出口  そうですね。日本では、どれだけ学習内容や教え方をより良くしようと思っても、試験が変わらなかったから、結局何も変わりませんでした。つまり、これが学校の授業は適当にやって、塾や予備校に行って別個に受験勉強するという今の日本の教育の流れですよね。
 それに対してIBは、カリキュラムを忠実にやっていけばきちんとしたスコアがもらえて、受験勉強をしなくても自分の望む学校に行きやすくなっています。これは非常に大きいことです。
大迫  IBはDPの2年間、忙しいことは忙しいのですが、そこでやっていれば良いだけで、別個の受験勉強はいらないのです。高校の先生と生徒が力を合わせて、生徒たちの卒業後、あるいは将来の道筋をつけていくというのは、高校教育の本来あるべき姿に非常に近いと思います。
 先ほどおっしゃったIBの世界統一試験の問題ですが、これを日本の高校の先生方にお見せすると、「こんなのできるの?」と大変驚かれます。だけどできるのです。なぜなら、日本の定期考査と同じように、IB生徒にとっては授業でやったことの復習ですから。
 つまり、あの驚くような問題ができるようになる授業をIBではしているのです。学校の勉強だけしていれば、次の自分の道は開かれるのです。
出口  簡単に言うと、日本の高校では中間・期末の点数がよくても、大学受験では全く違う勉強をしなければならないことが多いのですが、IBは中間・期末を真面目にやれば、それがそのまま大学の入学資格につながってくる、ということですよね。
学びへの探究心
出口  よく言われているように、受験英語をいくらやっても話せるようにはなりません。IBの場合、日本の受験英語とは全然違う英語教育を受けることになるのでしょうか。
大迫  英語教育のテクニックはもちろんIBにはありますが、日本の子どもたちが実際に英語を使いこなせるようにならない最大のポイントは、学び手が「必要性」を感じていないところにあると思います。
 「試験のための勉強」では、「なぜ勉強するのか」という理由がわかりません。モチベーションも、「とにかくやらなくちゃいけない」という状態です。
 それに対して、「今、この勉強は自分にとって必要なんだ」という意識のもとで学んでいくと、結果もまったく違いますよね。こうした個人としての動機をベースにした学びの姿勢を作っていくのが、いわゆる構成主義、IBの基本的思想なんです。
 日本のような英語教育でも、このIB教育の考え方で学んだら、英語は使えるようになるかもしれません。
 そこに加えてIBではプログラムが非常に緻密にできています。「知りたい」と探究心を持った子どもたちに、緻密なプログラムを入れ込むことで、知識はただの暗記で終わるものと本質的に違ってくるのです。
 では、IBで大切にされる「探究」とはどのようなものでしょうか。――赤ちゃんが「ママ」という単語を覚えたり、何かを知ろうとする状態。この、人間が知を得るときの基本的な営みこそが「探究」なのです。これをずっとキープして学んでいけば、その学びは強制されたものではなく、自分にとって意味あるものとして継続的になっていく。これがない限り、先ほど申し上げた「生涯学び続ける人」にはなれないというのが、IBの考え方なのです。
出口  いま、教育の本質をおっしゃっていただいたと思います。一生懸命覚えた5000個の英単語が、将来役立つと思っている受験生はほとんどいないかもしれません。多くの生徒は点数を取るのに必要だからやっているだけですから。
大迫  IBは「生徒中心主義教育」の立場を取ります。つまり、生徒が学びに対する準備が整った状態になったときに、教員がそれを支援していくという考え方です。
 その反対の言葉は「教師中心主義」で、教師が準備したものを子どもたちに与えて教え込むというやり方ですが、生徒の準備ができていなければ学んでも意味などありません。
 ですから、生徒の状態を常に見ることがIBでは重視されています。これができるのはプロフェッショナルだけです。決まった知識を教えるだけなら、ある程度誰でもできるかもしれない。だけどIBの、子どもに教育を合わせていくというのは、トレーニングを受けたプロフェッショナルでなければできません。ですからIBは教員研修がものすごく重視されているのです。
出口  IB認定校が増えることによって、新しいタイプの教員が生まれてくる可能性がありますね。あるいは、そういう教員になりたいという人が増えるかもしれません。
大迫  IBを知りたいと思う先生は少なくないですよ。日本の先生は真面目だから、一生懸命やろうという気持ちが強いと思います。だけど実際に、今までの手法と決別して生徒中心主義にするのは大変なことですから、教員だけではなく社会全体の根本的な価値転換も必要だと思います。
 
(続く・次回更新は7月16日です。)