HOME > 対談・真剣勝負 > 第12回 大迫弘和

従来型の教育では得られない強み 社会全体を巻き込む教育改革 学びの本質へ
第三部 学びの本質へ

20世紀型学力と21世紀型学力
出口  IBが入ることによって、学習指導要領に縛られなくなるような気がしています。僕は高校で講師を経験してから予備校で教え始めたのですが、高校では教科書のガイドブックがあって、それを見ればとりあえず教えることができました。
 でも予備校には何もないから、全部自分で考えて教えなければなりませんでした。あれで教える力がついたと思います。高校にいたままでは、おそらく教える力はつかなかったと思います。
 日本の教育は、例えば「中学1年生の1学期は、英語はこれだけのことを教えなさい」というように、分断された知識・情報を個別に習得していくものとしてとらえていますよね。このような教育のあり方は時代遅れだと個人的には思っています。「ものを学ぶ」とは、そういうことではありません。
 最近、「20世紀型学力と21世紀型学力」という言い方をされることが多いのですが、今の日本は20世紀型の教育です。「既にあるものをいかに模倣するか」そのための訓練をしている訳です。
 でも今は、基本的なことさえ知っていれば、細かい知識がなくたって検索すれば全部わかる時代ですよね。計算はコンピューターがやってくれて、漢字はワープロソフトが変換してくれる。今まで必死になって詰め込んできた学力が、社会に出てどれくらい必要かと言うと、おそらく大半の人が「なくても良い」と思っているのではないでしょうか。
 そういう意味で、IBはこれから世界的に必要になる「21世紀型学力」に近いと思うのです。ここが一番面白いところだと思います。いろいろな情報があるけれど、その探し方、その真偽をどう確かめるか、そこからどんな問題を発見して、どう解決していくか――こういった力がないと、膨大な情報に流されるだけで何もできませんから。
 ただ細かい知識を詰め込むのではなく、母国語・英語・数式という“言語”でものを考えて、それを表現していくというIBのカリキュラムは、これからの大きな流れになっていくと思っています。
 おそらくIBで学ぶ子どもたちは、「これから新しい時代を自分で生きていくためのスキルを、今、身につけているんだ」という意識を持てることでしょう。今の日本の教育ではそんな意識は持ちにくくて、ただ受験に必要な知識を習得しています。根本的に教育の在り方が全く違いますよね。
大迫  まさにおっしゃるとおりです。「学力」という言葉を使うと、どうしても20世紀型をイメージしてしまうので、学びの形態を21世紀型にしていくために、文科省はあえて「生きる力」という言葉を掲げました。
 要するに、学びが生きる力になっていかなくてはいけません。
 このような動きが起きると、「その学びを構成していくために今までやっていた基礎・基本は無駄なのか」という議論が必ず起こります。もちろん基礎・基本は大切なことですが、しかしそれは、教え方において生徒中心主義であることが前提です。基礎・基本においても、子どもたちの準備ができている状態をまず作る、できていなかったらしばらく待つ。子どもたちが主体的に学ぶことで、基礎・基本の学力は「生きる力」まで到達するのです。
 今までのようなやり方では、最後の「生きる力」までは到達せずに、やっぱりテストで終わってしまいます。ここはすごく大事なところです。前にも申し上げたとおり、IBの目標は「生涯を通して学ぶこと」です。学びは試験のためにあるのではないのです。
強制された勉強は学びではない
出口  基礎学力は必要です。本当に暗記しないといけないものもあります。ただ問題はおっしゃったようにその与え方ですよね。
 今はただ、「これは大事だから覚えなきゃダメだ」と結果だけを与えている。しかし、受身の生徒に強制するのではなく、基礎学力は自ら身につけていくべきものです。
大迫  「レディネス(準備)」と「モチベーション」、この二つがそろってない学びは有意義ではないのです。だからそれを作ってあげながら、必要な基礎学力を入れていかないと前に進めない。今までの強制力による与え方だと、子どもたちはどこかで止まってしまいますよね。学力という意味じゃなくて、「学び続ける人」としての生き方が止まってしまう。
出口  基礎学力はあくまで、それを使って応用をする前提のもの。学ぶ姿勢がないと応用は利きません。
 大迫先生がおっしゃったように、学びは受験のためではない。一生学ぶためにはその基礎を身につけて、なおかつ、学ぶことが楽しくないといけない。
 僕は授業中、「勉強って元々遊びだったんだよ」、「面白いから、やるんだ」と話すのです。例えばギリシア時代、貴族は働かないからずっと遊んでいたのですが、今のように娯楽がありませんから、飽きないように遊びとしての学びはどんどん高度になっていった。このように深く味わえるし高度に応用する元となるもの、それが基礎学力です。
 このように「勉強とは何か」という根本的な部分からもう1回考え直さないと、日本の教育はいくら改革してもうわべだけになってしまいます。
大迫  そのとおりだと思います。