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ゆとり教育の真実
時代が変わる。だから教育も変わらねばならない 生涯にわたって学ぶために学校では何が必要なのか 「総力戦」で教育していく態勢が必要
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時代が変わる。だから教育も変わらねばならない
“脱近代”を見越した「ゆとり教育」
出口  最初からいきなり本題に入ってしまいますが、基本的に僕は「ゆとり教育」には大賛成だったし、今でもその考えは変わっていません。ただ、現状としては、ゆとり教育とはだいぶ違う方向に、国全体が動いていっているように思います。
 寺脇さんは文部科学省にあって、ゆとり教育の中心的な推進役というイメージが強いのですが、当時、ゆとり教育についてどのような考えをお持ちだったのでしょうか。
寺脇  今は、「ゆとり教育」と呼ばれていますけれども、文科省としては、ゆとり教育と呼んでいたわけではないのです。ゆとり教育というのは、いい意味でも悪い意味でもマスコミが貼り付けたレッテルですね。
 ゆとり教育は、長い時間と多くの方々の知恵と経験を結集して検討した結果、導き出された教育政策でした。すなわち、生涯にわたって学習する、その一環が学校教育である、という考え方に立った教育改革が必要であること、そのために知識重視型ではなくて経験重視型の教育方針のもとで生きる力をはぐくみ、ゆとりある学校づくりを目指すこととしたのです。あとでお話しますが、「時代が変わる」ことが、その根底にあります。
 経過を簡単に説明すると、ずいぶん前になりますが、中曽根内閣の時代、1984年に、臨時教育審議会(臨教審)という総理大臣の私的諮問機関が設置されました。当時、京大の学長をされていた岡本道雄先生を会長に、加藤寛先生とか、石井威望先生とか、当時のそうそうたる知識人をお迎えし、塾や予備校の先生から、PTAの代表から、いろいろな人からお話をうかがって、3年間議論しました。その結論がこうだったわけです。
 だから、いわゆるゆとり教育で、教科書がどうなるとか、土曜日を休みにするかとか、あるいは「総合的な学習の時間」をやるのか、というようなことは、いわば教育改革における「下部構造」なんですね。
 大切なのは、ゆとり教育の最大の背景、「時代が変わる」ということなのです。
 20世紀まで世界を支配してきた近代というものが、終わりを迎えつつある。今では「脱近代」の時代になったというのは当たり前の話になってきていますけれどもね。少なくとも、中曽根総理までの時代は20年先を見越した議論をしていたわけです。すなわち、世界は近代においてずっと続いてきた成長の限界を迎える。だから、このことを見据えた未来計画が必要だということです。
 すでに、ヨーロッパでは1972年に、イタリアのシンクタンクのローマクラブが、「成長の限界」というレポートを発表しています。成長には限界があるということは、当時から鋭い人たちは見越していた。で、日本でも、当然日本もそうなるだろうという認識の中で「絵」を描いたわけです。近代が脱近代していく、という壮大なストーリーの中での教育改革の検討だったのです。ゆとり教育はこの検討の中から生まれたのです。
 臨教審で検討した内容を、そのあとさらに、中央教育審議会でかみ砕いて議論していったわけです。このへんが、いわゆる「上部構造」ですね。私が文科省の役人として担当していたのは、この「上部構造」とさっきの「下部構造」の中間くらい、言葉で言えば「中間構造」ですね。たとえば、現場で教育していくときに、何故こんな教育をするのか、という誰もが疑問を持つ部分があります。それは時代が変わるから、という答えの部分。このへんをわかりやすくまとめて社会に送り出すというようなことです。
 2002年くらいから本格的にゆとり教育が進められたときに、上部構造と中間構造で積み上げてきた議論が、全部すっ飛んでしまって、下部構造の議論ばかりに注目が集まるようになりました。台形の面積の公式がなくなったとかなんとか、そんな下部構造の議論ばかりになって。本来だったら、文部省がリードしなければならない上部構造や中間構造の部分について、もっともっと議論が必要だった。もっとも、上部構造については政治家がやらなきゃいけなかったのですが。しかし、小泉内閣がやめてしまったわけです、上部構造の議論を。
 だから、小渕内閣までは、「成長は限界に達する」ということを前提において教育政策も考えていたのだけれど、小泉さんは、「竹中理論」で、リーマンショックまで成長への夢を追いかけていました。だから、上部構造のそれまでの議論の方向が変わってしまったわけです。そうすると、文科省っていう中間構造が揺らいでしまって、下部構造が批判にさらされると、もう、立ちすくんでしまい、きちんとした中間構造の機能を果たせなくなってしまいました。そのために、最初に目指したことがうまく運ばなかったというのが「図式」だと思います。
出口  今、お話をお聞きしていて、なるほどなって思う点がいくつかあります。僕は当時予備校で講師をしていたのですが、「ゆとり教育大賛成」を公言していました。で、今の上部構造の問題ですけれども、僕にもそれがずっと頭にありました。
 これはよく言われることですけれども、日本の今の教育のもともとの原点というのは蘭学にあるのです。かつて日本は鎖国していて、かろうじて日本に入ってくる西洋の学問というのは、すべてオランダ語で書かれていました。だから、オランダ語を翻訳し、その内容を吸収することが学問であるという流れがずっと続いていて、それが結局は、近代においても、あらゆる西洋のものを結果だけをとりあえずは吸収していこうという土壌を作ることになったのです。
 そこで、小・中学校においては、その結果を吸収するための訓練として、計算とか、暗記、模写っていうようなことをやってきた。そういった流れが底辺にあって、第二次世界大戦で日本が負けた後に、アメリカに追いつけ追い越せで、同じことをより過度にやったのだと思います。
 その結果、団塊の世代あたりで、すさまじい競争の中で、勉強をすることが人間性をおかしくするというような、普通ではあり得ない状況になりました。本来勉強というのは、人間性を豊かにするものであって、子どもたちに生きる力をつけるためのものというか、よりよく生きるための武器を与えることが教育だと思います。それなのに、何か勉強することが、人間性を阻害するというような、まったく本来とは異なった状況になってしまったと思うのです。
 それで、教育に対する考え方や施策を切り替えるタイミングが、いくつかあったはずなのに、たとえば、日露戦争が終わった後とか、第二次世界大戦の後とか。しかし、ことごとくそのタイミングを見失っていって、もうどうしようもない状況に放置されることになってしまった。おそらくあの時にゆとり教育、まあ言葉は違うかもしれないけれども、そうしたものに切り替えないと、日本の教育というのはどうにもならないような状況にあったと思います。