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ゆとり教育の真実
時代が変わる。だから教育も変わらねばならない 生涯にわたって学ぶために学校では何が必要なのか 「総力戦」で教育していく態勢が必要
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第三部「総力戦」で教育していく態勢が必要
論理が無ければ、道徳も根付かない
寺脇  たとえば小学生に、私も授業させてもらうことがある小学校で、お年寄りに席を譲りなさいということを、道徳として教えます。でも、ちょっと待ってほしい。なぜ、お年寄りに席を譲らなければいけないのか、そういう話が出てこないのです。
 小学生に理解させるために、たとえば、私はこういうふうに言います。 「ここにおにぎりが1個あります。私と、たとえば出口さんがいます。で、私は今ご飯を食べたばっかりで、お腹がいっぱいだとします。出口さんは、もう2日も何も食べていない。このおにぎりをどうしますか」と。
 2人で半分ずつ分けて食べるのか、出口さんが食べるのか、私が食べるのかって聞いたら、まあ、当然、出口さんが食べるべきだってみんな言いますよ。
 それと同じように、さっきのお年寄りに席を譲る話は、「ここに空いている席が一つあります。
 きみが座るのかいいのか、それともおじいさんが座るのか、どっちですか」と問います。そして、「きみは、揺れる電車の中でも立っていられるだけの足腰を持っています。おじいさんは持っていません。だからおじいさんが座るのがいいんじゃないでしょうか」というように論理的に考える方向にもっていきます。
 ところが、これには道徳関係の人たちは怒りますよ。そんなの理屈じゃなくて道徳の問題だろう、って。だけど、論理的なものがついてこないと子どもたちには根付かない。戦前の人たちだって、何も道徳心だけで子どもに言っていたわけじゃなく、論理的に正しいかどうか、きっと頭の中で計算していたのだろうと思います。
出口  もう一点あると思います。それは、論理力とほとんど表裏一体だと思っているのですが、想像力が大切だということです。その子どもが、満員電車の中で必死で立っているおじいさんの気持ちをどれだけ自分に近いものとして実感できるか。想像力さえあれば、自分は平気なんだけど、おじいさんは大変なんだろうな、という思いで席を譲れると思います。
寺脇  それは、総合学習でよくやります。まあ、あそこまでやらなくてもよいのにと思うこともありますが。総合学習で、老人体験などをやります。お年寄りになるとどれだけ体が動かなくなるのかという体験学習です。手足に重りなどをつけて動きにくくしたり、あるいは目が不自由になるとどうなるのかというブラインド体験をしたりします。そういう中で理解していきます。それは、論理に加えて体験が必要だということです。つまり、生理的感覚というものを持たずに、バーチャルで生きていたら、それは理解できないということですよ。
平等が保障されて「自由」な競争が実現する
出口  こんなふうにいろいろお話していると、やはり、教育には政治が結びついているという気がしてきますね。
寺脇  具体的にどんな教育をするのかということは下部構造です、最初に言ったように。で、政治は上部構造と結びついています。だから、日本の教育が不幸なのは、戦後、与党自民党と野党社会党の二大政党の時代、いわゆる「55年体制」の時代に、世界を巻き込んだ冷戦構造の投影の中で、社会主義革命か、保守自由主義かという対立がありました。それが、教育の上部構造に持ち込まれていた時代が長かったことです。ですから、上部構造との関係を断ち切ろうという意識が、中間構造である文科省の中にあったわけです。
 しかし、今に至っては、どう考えても、社会主義革命なんか起こるわけがないでしょう。そうすると、今の二大政党制の中で、両方ともちゃんと責任政党として、この社会を維持しようという考え方を持つのならば、今こそ、上部構造と下部構造、教育現場を結び付けて行かなければならないのです。
出口  僕が中学生の時だったと思います。社会科で、資本主義と共産主義があって、要は資本主義というのは、自由だけど平等がない。共産主義は、平等だけど自由がない。では、どっちがいいか、なんてことを先生に聞かれたことがありました。
 僕はどっちも必要だと考えたのですが、今思えば、あの時の先生の質問はおかしかったと思っています。というのは、自由も平等も両立するものだからです。もっと言うならば、何もしない人も一生懸命働く人も、同じように平等に扱うというのではなくて、要は、それぞれに必要な機会を平等に与えたかどうかだと思うのです。
寺脇  そうですね。
出口 その上でじゃないと、自由競争ってありえないと思います。同じような条件の中で競争して初めて、自由競争というものが成り立つし、その平等な条件っていうのは、社会が保障しなければだめなものです。
 たとえば、教育について言えば、実際には、お金を持っているところと、お金を持っていないところは、平等の教育を受けてはいません。で、不平等な状況の中で自由競争です。そして、負けたら「お前のせいだ」と言われるのは、ちょっと話が違うのではないかと思います。
寺脇  私の個人的な考えですけれども、自由と平等っていうのは、次元が違うのです。自由というのは、基本的に目的ですよ。目指すものです。これに対して、平等というのは、手段でしょう。通過地点でしょう。まず平等が実現して次に何がくるかといえば、それは自由の実現で、自由が実現して次にくるのは何かっていったら、それは自由に何かをするということです。いろいろな何かができるのです。
 共産主義がうまくいかなかったのは、どこの国でもそうだけれども、平等が実現したその後、何が起こるかと考えたときに、何も希望がないわけですよ。それは、平等を目的にしているからなのです。 
出口  実は、僕は本当の平等というのはあり得ないと思っているんですよ。平等にしようと思ったら、すべての人々に平等に分配するための大きな組織が必要になってきますね。組織は上下関係で成り立っていますから、その中で上位にいる官僚が組織を、そして社会を支配する力を持ってしまう。平等ではなくなるわけです。
寺脇  そうですね。それで政党に幹部ができるみたいな、特別な階級の誕生です。
出口  それでは平等にはなり得ませんよね。
寺脇  今、共産主義で統治されている北朝鮮が平等社会ではないということは、もう誰にでもわかっているじゃないですか。金正日と、飢えている農民が同じで平等なわけがない。だからそれは、治める民を平等にしているという錯覚、つまり民は、自分たちは平等に扱われているのだから、支配者がいることに納得するというような、むしろ封建主義的構造ですよね。
出口  だから、平等っていうのは、これからの社会では現実的な目的ではないのですから、平等な条件とか機会の中で、自由な競争ができる社会を、どうやってつくって行くか考えていかなければならないのです。
寺脇  そうですね。日本でも、一時期、教育をだめにしてしまったのは平等思想でした。つまり、全員が東大を目指ことができる、それがいいことだと錯覚しました。また機会平等も勘違いされているのです。全員に東大を受験する機会を与えることが平等だって勘違いしているのです。
出口 大きな勘違いですね。
望むところ・ことに挑戦できるチャンスを与える
寺脇  東大に行きたい人、たとえば、ある集団の100人中20人東大に行きたい人がいて、この20人に東大を受けるチャンスを与えるということはすごくいいことです。しかし、受けたいと思っていない人に受けるチャンスを与えて、「平等でうれしいだろう」と言ったって、「冗談じゃないよ」ということになる。「僕は、農業で日本一になりたいと思っているのに、なんでこっちに行く勉強をしなきゃいけないの」と、いうことがあるわけです。
 さっきちょっと触れましたけど、日本の農業って、ものすごく可能性を持っています。成長産業ですよ。私はしみじみ思いますね。今から20、30年前に、優秀な人材がもっともっと農業関係に向かうような筋道を作っていたら、今はすごいことになっていたのだと。
 ところが、みんな東大目指せって言って、東大に行けなかった人間がここに行き、あっちにいき、希望どおりの系統や大学に進学できなかった人も少なくなかった。そういう経過の中でさえ、日本の農業が今日世界から大きく注目されている。だから、もっと前から、生徒が希望する大学や学部に行くという指導をしていたら、日本の農業はもっとすごいことになっていたと思います。そして、みんながそれを誇りに思うことで、ますます農業は進展していきます。
 ところが、全員が東大に行けるはずだみたいな妄想の中で、行きたくもない生徒にまで、東大に行くためにセンター試験を受けて高得点を取りなさい、高校受験生には、普通科の進学校に行きなさいみたいなことを言っていたわけです。
 機会の平等っていうのは、同じところに行けるという機会を与えるのではなくて、その人が望むところに行く機会を与えるということだと思います。
出口  そういう意味でも、極端なことを言うようですが、すべての学校を無料にした方が面白いなと思います。高校も予備校も関係なく。それはもう、生徒が好きなところを選べばいいとするのです。そうなれば、各高校も予備校もそれぞれ独自の教育というものを打ち出してくると思います。そして、各高校や予備校は、教育の結果として、進学実績や教育効果などについて責任をとらなければならない。それが本当の平等じゃないかと思いますね。
寺脇  実は、今の民主党政権で、私と文科省副大臣の鈴木さんの本の中でも言っているのですが、それに一歩近づいているわけですよ。どういうことかと言うと、高校授業料無償化、それから子ども手当です。
出口  僕は大賛成ですね。
寺脇  それで、子ども手当を考えるときに、たとえば、子ども手当を全部フリースクールに使えば、フリースクールが無料化したのと同じことじゃないか、そういう理解をどうしてできないのかと思います。そのへんが曖昧にされたまま、ただお金がばらまかれているというような議論になっている。
出口  親がパチンコに使ったらどうするのかというような議論ですよね。
寺脇  そういう話になってしまうのですね。はっきりアナウンスしなきゃいけないんですよ。
 子ども手当を、まだ完全にはいきませんが、子ども手当を出します。高校授業料を無償化します。公立高校の無償化だけでなく、私立高校も、さらに補助したりしますから、無償に近くなります。少なくとも前よりはかなり安くなります、と。
 ところが、塾とか、フリースクールなど、高校以外のところで学ぶ人にはそうした恩恵は行きません。今度の子ども手当はそういう人たちのところにも行くようにするという筋道なのです。そういうサインをはっきり示すことが必要です。
 それで国民的コンセンサスを得ていきます。だれでも、どこで学ぼうとも、学ぶ権利を保障することが、まさに機会平等なのだというコンセンサスです。
出口  そうですよね。だからそのへんも、政府の説明がちょっとへたというのでしょうか、単に税金の無駄遣いをやっているんじゃないか、バラマキじゃないかと批判されています。しかし、これはバラマキなどではなく、日本の社会の構造をどう変えるかという問題です。日本の将来を、コンクリートのパノラマみたいに描くか、「発展」にしがみつかない新しい社会構造を作っていくかというビジョンの問題だと思います。
寺脇  そのビジョンは、昔だったらエリートが作っていたのですが、今はみんなが責任を持って政治に参画する時代です。そういう中で選挙の結果、民主党が政権を担当することになったのです。民主党の政策を十分に理解し、責任を感じて、批判や協力を行っていくべきではないでしょうか。
出口  そうですよね。おっしゃるとおりですよね。