HOME > 対談・真剣勝負 > 第六回 佐藤優

 

 

1分間勉強考
一流評論家、現代文参考書に出会う それぞれの宗教との出会い 宗教の外側から信仰の本質を
佐藤  僕が大本教に非常に関心があるのは、大本教が国家というものの本質を最もよくわかっていたからこそ、 弾圧を受けたのではないかと思うからなのです。
出口  そうだと僕も思います。
佐藤  国家の本質をよくわかっていたから、非常に国家を大切にして、しかもその国家っていうものが、帝国主義的な理念じゃなくて、それを越えていくような道義国家であるべきだと考えていた。その考え方は、当時の大東亜共栄圏のドクトリンと、ある程度建前上のものは重なっていた。しかし、国家に近寄りすぎたが故に、今度は国家によって徹底的に排斥される。国家というのは、ものすごく嫉妬深くて、暴力的な存在ですからね。
  ところが、出口王仁三郎は、戦後、あれだけの経験をしたにも関わらず、反国家にならずに、しかも国家と一定の距離を置くことができた。僕は、そこの内省論理というか、宗教心としての力にすごく関心があるんですよ。
出口  おそらく、先生のその見方は、すごく当たっていると思いますね。
 さらにそれに付け加えると、王仁三郎は全てをわかった上で、色々パフォーマンスをやっていたのではな いかと思っているんです。実際に、自分が弾圧を受けて捕まる日、さらに、自分が釈放される日も、どうも全部知っているような節というか、そう考えざるを得ないような証拠がいっぱい出てきていて、全部計算づくで、自分が捕まるように、弾圧を受けるように、どこかの時点でもっていったというか。
  最初のまだ捕まっちゃいけない時は、実際捕まらないような言説をたくさん出しているんですよ。で、これを書けばもう絶対捕まるっていうような言葉を、途中からどんどん出してくるんです。そうやって、捕まるように全部もっていっているというか。そのあたりも、すごく面白いなと思いまして。
佐藤  その点はイエスに似ていますよね。
出口  そうですよね。
佐藤   33年間の生涯の中で、ある時点から、確実にこれは十字架にかけられる方向に行くっていうような。
出口  本人は自覚していますね。
佐藤  明らかに自覚していて。だから、例えばその辺の感覚っていうのは、その後、大本教の影響を受けながら 出てくる、例えば世界救世教にしても、メシア教などと自称しているあたり、いろんなところが、出口王仁三郎の思想から「これだ!」と思うところをパッとつかんでいるところがあるんでしょうね。
  やはり宗教の最大のポイントは、国家、それから貨幣とどう付き合うか、ということだと思うのです。その両方については我々、無視できないんですね。
  しかし、貨幣と自己同一化すると、金儲け宗教になってしまうし、あるいは、国家権力と一体化するということを志向すると、国家のサブシステムになってしまう。
  その両方と、適度に距離を置きながら、なおかつ宗教が宗教の本質を失わずにいるためには、やっぱり宗教的な天才が必要なんですよ。それで、その宗教的な天才が書き遺したもの、言い伝えたことっていうのは、それを解釈し直したことによって命を入れる、というのがキリスト教の考え方ですからね。その辺は、いろんな宗教に共通していると思うんですよね。
佐藤  それで、出口先生の場合は、王仁三郎を直接知らないですよね。
出口  はい、知りません。
佐藤  第4代目になるわけですよね。
出口  そうですね。
佐藤  それは、実は非常に良い位置におられるんじゃないでしょうか。
出口  そうですか。
佐藤  逆に、個人的な経験を直接している人は、どうしても見えないところがある。
出口  はい、それはあるかもしれませんね。
佐藤  出口先生は、直接的な私情を突き放すことができる位置におられるし、しかも遺された文書をテキストとして論理的に捉えることもできる。ヘーゲル的に言うと、フュアエス、当事者にとってはこう見えることが、フュアウンス、読者を含めた我々、つまり学問的な訓練を受けた人たちにとっては別に見えるという、往復ができる。そうすると、外部に対する説得力がすごく出ると思うんですよ。
出口  はい、すごくいいヒントを個人的にはもらった気がしますね。
 実は、僕の実家が、王仁三郎が最後に住んでいた家なのです。それが去年全焼したんですね。そうしたら、うちの両親、その時は母が住んでいたんですけれども、まあ、母も知らないびっくりするようないろいろなものが出てきているんですよね。おそらく王仁三郎が隠していたと思うんですが……。だから、家に住んでいる人が誰もわからなかったものが、全焼することによっていろいろ出てきて。
佐藤  要するに、全焼して、そこを全部一回……。
出口  もう本当に焼け野原のようになった下を掘り起こすと、紙も含めていろいろなものが、ほとんど無傷で出てきたんですよ。で、これはもう、普通は考えられないことというか。
佐藤  すごいですね。それには大きな意味がありますね。そういう風になったということは、「それを読みなさい」と出口先生に王仁三郎が言っているわけでしょう。
出口  そうですね。それらが今、自宅に全部運びこまれてきているんですよ。だから、部屋の中に膨大なものが、山のようにあって。「なんでうちに来たのかな」と思っていたのです。
  これは僕個人のものだとは思っていないので、しかるべき時に、しかも近い時期に、みなさんに公開できるような形のものをやろうと思うと同時に、なんかこう、王仁三郎のことを、世に少し出さなければダメなのかなという、そういう使命感が僕の中に出てきたところでして。
佐藤  それはすごく重要な仕事だと思いますね。本当の宗教っていうのは何なのか、国家とは何なのかっていうことになるわけですから。
  ただ、その作業をやると一番大変なのは、やっぱり、天皇の問題と突き当たってくることだと思うんです。
出口  はい、そうですね。
佐藤  私は、特に近代的な天皇には、二つのものが強い影響を与えていると思うんですよ。一つは、コミンテルン32年テーゼです。もう一つは、私は大本教だと思うんです。その二つの強い影響を受ける中で、1930年代に、実は戦後も連続してくるんですが、今のような、天皇の一つのシステムができあがってきたんじゃないかと思うんですよ。
  ですから、右派とか保守派が考えている天皇観というものの根源を解説してくれたのが、私は二回にわたる大本教の弾圧だと思うんですね。あれは、軍部との軋轢とかなんとかじゃなくて、日本の国体の根幹に触れるものがあるという危険を、当時のイデオロギー官僚たちは感じたんじゃないかと。そしてそれは、天皇自身が感じたと。そうでないと、あそこまでの、特に二次弾圧みたいな徹底的なことはやらないですよ。
出口  そうですね。おっしゃる通りです。
佐藤   だから、そこのところをどうやって触れていくかっていうのは、本当に日本のタブーに触れていく話なんですけれども。
出口  まあ、本当にタブーに触れざるを得ない時が来ると思いますね。
佐藤  あと、同時に問題になるのは、コミンテルン32年テーゼだと思う。天皇制っていう言葉は、そもそも、モスクワでできた言葉で、要するに、制度だから変更可能であるっていう含みがあるわけですよね。それが32年テーゼの中で、絶対主義天皇制という言葉になった。そうしたら、それを形に移すようにだんだん変容してくるんですよね。
出口  なるほど。
佐藤  僕、そのプロセスにもすごく関心があるんですよ。なぜかっていうと、お堀の中の不思議なシステムの変容が起きるのも、やっぱり30年代なんですよね。
出口  ちょうど大本の弾圧と重なってきますよね、時期的にも。
佐藤  超越が早すぎる宗教って、インチキですよね。
出口  ですから、大本の弾圧っていうのは、宗教弾圧を語る上でとか、いろんな形での取り上げはされているんだけれども、大本の側からの内在的な論理として、あれをどう捉えるかっていう作業が、私が見ている中ではされていないんじゃないかと。  
佐藤  本当にそう思いますよね。ですから、早いところで、命がけの飛躍をしないといけないはずなのに、それが命をかけずにすぐに飛んじゃって。それだから、本当に重要なところでもう飛ぶ力がないっていうような感じがしますよね。
出口 はい、ないですね。
佐藤  今の教団の方から、そういうものが特に出ているという感じでもないし、編年史での「こういうことがあった」という証言集を集めているんだけれども、その意味をどう読み解くかっていう作業は、多分意図的にしていないのだと思うんですよ。
出口  おっしゃる通りです。いやもう、本当に鋭いご指摘ですよね。
佐藤  それから、先生がその仕事をされるっていうのは、ものすごく危険ではありますけれども、でも、先生は 上手な表現能力を持っておられるから大丈夫でしょう。
出口  これからいろいろと本当に勉強して、自分のもう一つの今後の人生の中心的な仕事になっていくんではな いかなあ、とは思っているんです。
佐藤  先生、今おいくつでしたっけ?
出口  56歳です。
佐藤  ロシアは還暦がなくて、50歳で一つの区切りなんですよ。だから、ロシアに長くいたせいか、50歳になると、自分の持ち時間を意識するようになるんで、何を次の世代に継承していくかっていうことを考えるようになりますよね。
出口  おっしゃる通りですね。
佐藤  ですから、私は、沖縄のことや宗教のことに比較的関心を持っているのは、多分それと関係していると思うのです。
出口  はい。どうしても死を見て、やっぱり計算するところがありますからね。残された時間であれもこれもできないわけで、その中で、何をやっていこうかっていうことは、絶えず考えますよね。
佐藤  やっぱり、出口王仁三郎、それから大本教のことは、出口先生にしかできないところがある。だから、人は、その人にしかできないことを優先してやられるのがいいと思うんですよ。
出口  はい、ありがとうございます。
佐藤  僕はその書かれるものを読んでみたいと思うし、それと同時に、今後の日本の国家体制っていうものを強化していく上で、ものすごく役に立つと思いますよ。
出口  はい、できることなら、それを論理という手段を駆使して、やっていけたらと思います。
佐藤  だから、宗教団体とか、宗教というステレオタイプをとらないで、宗教についてどうやって語っていくのかっていうことですよね。
出口  まさにそれは僕が今考えていることです。
佐藤  だから、僕は、現代文の本というのは、本質的に宗教的だと思ったんですよ。
  というのは、それに隠れて宗教を宣伝するという、そういうことではないんです。
  論理で語れる世界を徹底的に行うことによって、神学の世界では否定神学というんですけれども、残余の部分を示すんですよ、それによって。
  だから、その残余の部分を示すための準備作業として、徹底した論理化が必要なんですよね。それで、徹底した論理化を行った結果、初めて残余の部分、宗教について語る権利を持つんですよ。
  その後どう語れるかっていうのは、本当にその人一人ひとりなり、その宗教の力量になってくると思う。ところが、今の宗教っていうのは、そこがインチキで、入口の論理の話っていうのは全部無視している。例えば、密教だって、顕教をやっていないと密教の世界っていうのは行けないはずなんですよ。ところが、顕教の世界はすっ飛ばして、経文も全然読まないで、ドクトリンも全然やらない。見かけだけの護摩を与えたって、そんなのインチキですよ。
出口  はい、そうですね。大本に関しても、よくそこまで鋭く……。
佐藤  いえいえ、私はもう本当に表面的な知識しかないです。
出口  やっぱりその本質を見抜く力っていうのはすごいと思いましたね。ゾクッとするところがありました。
佐藤  大本教の魅力っていうのは、やはりあれだけの戦時弾圧に耐え抜いたっていうところだと思うんですね。
  その力っていうのは、これは、自分たちの意志力じゃないですよ。その外側にある根源的な力を体現しているから、それに耐え抜くことができるわけですよ。あれだけの拷問も。僕なんか短い経験ですけれども、やっぱり何か超越的なものがないと、512日あそこ(東京拘置所の独房)の中にいることはできないですからね。
出口  はい、そうでしょうね。
佐藤  内側から崩れていくんですよ。