HOME > 対談・真剣勝負 > 第7回 和田 秀樹

国語はセンス? 「話せばわかる」ためのルール 論理と数学、そしてメディアリテラシー
和田秀樹 画像出口汪画像
論理の欠如がもたらす社会の歪み
出口  今の日本の教育問題に話を戻しますと、ともに大切にすべきはずであったはずなのに、算数・数学だけは徹底してやった。これに対し、国語における論理力教育は皆無だった。その非常にアンバランスなところに大きな問題があると言えるのかもしれませんね。
和田  おっしゃるとおりですね。
出口  そこを何とかしないと、日本の教育は、もうダメになってしまうと思うのです。
和田  僕が行っていた学校が、灘中という特殊な学校だったということもあるのかもしれませんが、私立の中高一貫校だと、数学でも多少幾何的なこと――ユークリッドの幾何学みたいなことを教えるわけですが、そうでない学校は本当に数式をいじるだけの教育に陥ってしまっているんです。特にセンター試験の解答はマークシート形式ですから、必然的に、高校教育でも、答えに至る論理的な過程が飛ばされてしまいがちになります。
 つまり、国語がいまだに論理的なことをきちんと教えていない一方で、今まで日本人を支えてきた、数学における論理的思考の部分もかなり飛ばされ始めている……。
出口  憂うべき事態ですね。
和田  はい。結果、例えば、テレビでおよそ論理的とは思えない発言をしていて、感情をうまく煽る当意即妙な答えをする人間が政治家になったりしていますよね。
 あるいは、昔であれば、派閥の領袖として何らかの政策を持っている人が総理大臣になっていくシステムだったのが、今では一番総理大臣に近いポストは官房長官だと言われています。なぜ官房長官になると有利なのかといったら、頻繁にテレビに露出することができるからだとか。
 映画なら映画で、ベスト10のうち5作ぐらいまでがテレビドラマの続編であるとか、あるいは音楽のベスト10が全部特定のアイドルグループだとか……、これがおかしい状態であることにさえ、気づいていないのです。そこまで簡単にテレビに洗脳されてしまうというのは、やはり自分の頭で考えていないことの表われですから。
メディア・リテラシーと論理
和田  イギリス人はまともな新聞でさえ15%の人しか信じていないのに、日本人は新聞に書いてあることであるならば、全部本当だろうと思っている節があります。
 しかも、日本のマスコミは記者クラブのような形で情報を寡占化するから、すべての新聞がみな同じことを書きます。そして、同じことが書いてあることと、客観とはまた別問題なのに、同じことが書いてあると正しいことのように思えてしまうわけです。
 民主主義を成立させるためには、正しい情報が必須条件です。実はインターネットを使えば、いくらでも情報が取れ、テレビが言わない情報も得られるようになってきているのに、メディア・リテラシーのない国民性という視点から見ると、多分エジプトやリビアで起こったようなことは、この国では起こらないな、という感じがしてしまうんですね。
出口  そういう意味でも、本当に日本人の思考力、判断力をもう一回見直して、徹底して鍛えていかなければダメな時期だと思います。僕の仕事としては、とにかく論理力の重要性を一人でも多くの日本人に伝え、身につけてもらいたい。そうでないと、日本はもう三流国になり下がっていくのではないでしょうか。
和田  例えば製造業であれ、ITであれ、「こういうものを作れば売れるだろう」という考え方、これもある種の論理性だと思うんです。その分野で日本人が世界より優れていた部分が、いま怪しくなりつつあるということを考えたとき、やはりおっしゃるとおり、論理性の欠如により、このままだと三流国家になるでしょう。
 もっと悲しいのは、これだけテレビの影響力が強くなると、文化国家ですらなくなってしまうんですよ。韓国やフランスなどと比べても、映画産業そのものが衰退していますよね。あるいは音楽であれ、独自のものが出てこなくて、最大公約数的なものばかり――つまり自分の思考力で物を考えなければ、多様性というのは出てこないのです。
 すると、文化もダメ、それから、外国に勝っていた製造業的なものもダメ、という話になってしまう。
出口  そうですね。
和田  テレビだって、テレビそのものが悪いのではなく、テレビを批判的に見ることができないことが悪いわけです。だけど、家庭内で批判的に見ることも少ないでしょうから、せめて学校で正しいメディアの捉え方を教えてほしいですね。
 今の地震報道のように、感情的になり、客観性も損なわれ、みんなが同じようなことを言っている時こそ、学校教育復権のチャンスがあるのではないでしょうか。
 学校の先生が、「公式発表はこうなっています。それに対しAという人の説はこうなっていて、Bさんの説はこうなっているでしょう」という風に、1局のテレビのスタンスだけではなく、多面的な物の見方に関して説明しても良いですよね。
 また、一緒にテレビを見ながら「この物証とこの意見は論理的に整合性があるが、この意見は整合性はない」などという説明をして、メディア・リテラシーについて教えることができれば、「あ、テレビよりも先生のほうが信用できる」と思わせることができる。そういったチャンスって、たくさんあると思うんですよ。
 それも含めて、やはりまともな国になるために、論理的思考力を持つための教育は必要だと思いますね。
出口  まさに、論理性の欠如が国の根幹を危うくしていると思います。和田先生同様、教育界における実際の活動を通して、国の根幹を立て直すことが急務だと痛感しています。本日はお忙しい中、ありがとうございました。