HOME > 対談・真剣勝負 > 第8回 宮台 真司

アドレッセンス回顧 コミュニケーションと宗教性 3.11で露呈した世界
 
引き受けて考える作法 宮台的革命論 ― 心の習慣を変えるために    
出口  先ほどツイッターの話が出ましたが、従来の権威が崩壊しつつあるかわりに、新たなメディアが新聞やテレビに代わって定着してきましたよね。テレビや新聞は一方的な情報発信者だから、裏で電力会社が絡んでいようが、われわれは本当のことが分からないのでそのまま受けるしかない。人は情報を基に物事を判断しますが、与えられる情報が信じられないなら、自分で正しい情報を求めなければなりません。
 一方、ツイッターやフェイスブックのような新しいメディアは、ユーザーが情報受信者であると同時に発信者でもある。面白いことにツイッターなら誰をフォローするのかによって、まったく違った情報を受け取ることになる。だから、人任せではダメだとようやく気づくことになりますよね。
宮台 そうですね。そのような日本国民の人任せを、政府さえも前提にしている状況があるのです。僕は、総理をはじめとして政権中枢の人たちと連絡できたので、空間線量(γ線)のデータとは別に、低線量内部被曝に関わる土や草木や瓦礫の物質線量(β線)のデータを出すようにお願いしていましたが、どうしても出してくれない。
 理由は、「そんなデータを出したら、マスコミから『それは安全なんですか、危険なんですか』と問われたとき、政府が答えられないじゃないですか。それじゃあ政権が持ちませんよ」ということでした。
 馬鹿げています。確かに低線量内部被曝に関するデータ評価には、研究が政治的に抑圧されていたので、定説がありません。ならば政府は「低線量内部被曝については専門家でさえ確たる評価ができないのだから、政府ごときに確たる評価などできません。国民の皆さんがインターネットなどで諸説を収集し、周りと話し合って、被曝に関わる『最悪事態の最小化』戦略を採るのか、他の問題とのバランスで考えるのか、決めて下さい」と言うべきです。
 でも、政権要人が「そんなことをしたら大変なことになりますよ」という思考に陥ってしまったのには、政府だけでなく、マスコミにも咎があります。というのは、「危険か安全かといったデータの評価まで政府に求めて、政府が答えられないと憤激する」といったダラシナイ依存的作法が、日本のマスコミを100%近く覆っているからです。
 低線量内部被曝の研究が、広島・長崎からこのかた政治的に抑圧されてきたことや、日本政府が何かというと依存するICRP(国際放射線防御委員会)が、核保有国の利害を体現した機関であることは国際常識です。だから実際、欧州には市民と科学者の民間ネットワークであるECRR(ヨーロッパ放射線リスク委員会)があるわけです。
 マスコミでは、震災発生から3月末まで東電批判がタブーだったし、NHKを含めて電力利権に深く侵された御用学者を平気で出演させていました。一方、僕はスタッフの顔がこわばるのを横目で見ながら、レギュラー出演するTBSラジオでも、東電や、原子力安全保安院を含めた経産省の発表が、全くのデタラメだと言い続けてきました。
 結局は3月末までに東電や政府の発表が出鱈目であることが明らかになり、「直ちに健康に被害を及ぼすものではない」といった物言いが噴飯物であることも理解されるようになりました。電力会社批判も解禁となり、やがていろんな検証番組も作られるようになりました。十分かどうかは別として、それ自体は画期的な変化だったと思います。
 変化の背景にあるのは、僕が関わる「マル激トーク・オン・デマンド」を含めたインターネット情報とマスコミ情報を比べると、マスコミ情報が全面的にガセネタだったのに対し、インターネット上には玉石混交であれ、妥当な情報が多数やりとりされていて、マスコミの信頼が地に落ちたことです。その事実にマスコミ自身が気づいたのです。
宮台  ネットとマスコミの乖離は、国民の側にも課題をつきつけています。ネット情報では、石の中から玉を識別するためのメディア・リテラシーが必要です。マスコミは、5系列16社の記者クラブ的横並び体制のせいで、どこを切っても同じトコロテンで情報源を選べませんでした。だから選ぶための方法論を知らない人が多いんです。
 ネット上でも「誰々の言うことなら安心だ」というスタンスで接することができる“権威”を探そうとする動きが目立ちます。つまり、自分の頭で〈自立〉して考えるかわりに、何も考えずに〈依存〉できる他人の頭を探そうとしがちなのです。必要なのは、選ぶ力。一人で選べなければ、友人・知人のネットワークで選ぶんです。
出口  宮台さんがいち早くそうしたように、隠ぺいされた正しい情報も流される一方、やはり多くのデマが発生し、誰かがデマと思わずリツイートで拡散……ということもありましたから、自分一人で判断するのは非常に難しくなってきていますよね。
宮台  そう。人間関係が大事です。「マル激」などで「マスコミ依存からの脱却」を唱ってきたけど、それだけじゃ足りない。僕自身、番組を通じて人とつながれて、初めて空間線量……つまりγ線とは何かであるとか、β線やα線などの空間線量として表れない物質線量とは何かを学んだし、先に述べたICRPとECRRの違いを学びました。
 一日中、原発や放射能情報だけ調べることなど普通は無理です。ですから、「正しいことだけをツイートしろ」なんて説教は無意味なのです。「意図して嘘を流す」というデマは駄目ですが、「本当のところはよく分からないのが本当のところ」みたいな問題こそ、ツイートしまくらなきゃいけない。さもないと政府と同じデタラメに陥ります。
 低線量内部被曝のデータ解釈や、除染の有効性に関するデータ解釈は、専門家でさえ通説がない。このような「本当のところはよく分からないのが本当のところ」みたいな問題では、「この人の言うことなら」という種類の確かさを期待して……例えばアルファブロガーに依存するようなやり方は、絶対にやめなければなりません。
 光と影の間に半影があります。月蝕では、月が地球の黒い影に隠れる前に、赤茶色い半影に覆われる。半影部分は光か闇か(安全か危険か)という二項図式が通用しません。主題によっては半影部分がとてつもなく大きいことがあります。そのような半影部分は、安全上の功利、修学上の功利、職業上の功利、人間関係上の功利を絡め、自立的に判断する他ないのです。
 そこで観察するべきは、専門家の意見でなく、自分と似た境遇の人たちが、どんな理由でどう判断して、どう行動しているかです。同調や模倣を推奨しているんじゃない。似た境遇の人たちの営みを、自分がどう評価するかを通じて、自分や自分たち家族の身の振り方を決めるんです。その意味でも人間関係が圧倒的に大切です。

出口  そういえば原発事故が起こって、たしか3月半ばだったでしょうか、1週間ぐらいものすごい放射能が……。
宮台  すごかったです。
出口  東京にも来ましたよね。
宮台  ええ、3月15日ぐらいが一番すごかった。
出口  あの一週間に東京にいたか否かで被ばく量が大分違うと思うんです。でも、多くの人が政府やマスコミを信じて被ばくした。もはや、自分で正しい判断をしなければ命に関わってしまう状況に陥っていますよね。
宮台  僕はヨソの子を含めて疎開しました。大袈裟だとの批判もあったけど、結局は妥当だったことが後にデータで分かりました。それに絡んで、風評被害とパニックという言葉が安易に使われます。放射能感受性の高い乳幼児を抱えた親が「最悪の事態の最小化」のためにのりしろを多く取るのは、危機管理的に完全に合理的です。
 親が茨城や千葉の野菜を買わない。これが風評被害と呼ばれてしまう。低線量内部被曝問題の学術的不透明性に加え、今回の原発災害で僕たちが中央行政も地方行政もマスコミも信頼できなくなりました。嘘つきの政府とマスコミを信じないことには合理性がありますが、風評被害というラベル貼りはこの合理性を覆い隠します。
 パニックも同様。当時の細野首相補佐官が、speediのデータをアメリカには24時間以内に提供したのに、国内向けには一ヶ月以上もデータは存在しないと嘘をついた理由を、「パニックを恐れたからだ」と記者会見で説明しましたが、これについて前の日本部長ケヴィン・メイが「パニックではなく、国民の憤激を恐れたのだ」とツイートしました。
 メイの言う通りです。絶対安全神話を吹聴してきた政府は、神話を否定するデータを出せば、国民が憤激して反原発世論や反東電世論が噴き上がり、「直ちに健康に影響が出るものではない」などとエラソーな面を下げてほざくことが不可能になると判っている。東電も政府も、国民にどの面下げるべきか分からなくなる、それが理由なのです。
 その意味で、このパニックはパニックでも、災害社会学者キャスリン・ティアニーが「自分たちが維持すべき社会秩序が、災害下では貧困者やマイノリティによって破壊されると考える恐怖心」として定義した「エリート・パニック」でした。この場合の秩序は、正統性と利権を含みます。正統性とは「国民にどの面下げて……」です。
(次回へ続く)