HOME > 対談・真剣勝負 > 第8回 宮台 真司

アドレッセンス回顧 コミュニケーションと宗教性 3.11で露呈した世界
 
引き受けて考える作法 宮台的革命論 ― 心の習慣を変えるために    
宮台 ありがとうございます。ただ僕の今回の原発ツイートや言論の目標は脱原発ではありません。そこは皆さんの期待とズレます。熱心な運動を含めた個別事情の積み重ねでラッキーにも原発全機が停止したところで、どうなのか。政権が国民的議論を踏まえてドイツのように脱原発計画を前倒ししたのとは、雲泥の差です。
 「原発をやめること」よりも「原発をやめられない社会をやめること」の方が重大です。後者が手付かずだと、今後も原発以外の問題で同じことの繰り返しになります。「原発をやめられない社会」の本質は〈依存〉です。〈依存〉から〈自立〉へシフトが必要です。
 具体的には、第一に〈任せて文句埀れる作法〉から〈引き受けて考える作法〉へ。第二に〈空気に縛られる作法〉から〈合理を尊重する作法〉へ。
 でも「シフトするべきだ」という類の「べき論」に意味はない。なぜなら、そうした「べき論」を脱臼させるのが〈任せて文句埀れる作法〉と〈空気に縛られる作法〉だからです。 ならば、ダメな作法に従う共同体や結社を淘汰すべく〈補助金が欲しくて行政に従う社会〉から〈儲けるために善いことをする社会〉へシフトさせる。
 つまり〈補助金行政から政策的市場へ〉。このシフトも「べき論」に見えますが、このシフトがない限り、国であれ自治体であれ、どのみち財政破綻するので待っていればいい。
 日本は先進国のどこよりも全就労者に占める公務員割合が小さく、予算に占める社会保障費割合も小さい。なのに先進国のどこより国の借金(国債残高)が大きい。その理由は、いまだに補助金行政をしているからです。国と地方の借金は、国民の貯蓄を原資とした銀行からの貸付です。貯蓄率が1%余りしかないので、原資が枯渇し、いずれ破綻します。
 補助金行政は、特別措置法を作り、特別会計を確保し、配分のための特殊法人を作って天下り先を確保し、配分先の業界にも天下り先を確保します。問題なのは、カネを大きく回すほど利権が大きくなるのでコスト圧縮動機が働かず、第一に予算効率が悪くなり、第二にイノベーション動機が働かず、技術効率が悪くなります。
 昨年暮れに新聞が「風力発電の大半が赤字事業だ」と報じましたが、赤字の所は全て行政が事業をやっていることを報じていない。役人には(1)ビジネスノウハウがなく、(2)ビジネスネットワークがなく、(3)ビジネス動機がなく、(4)ノウハウやネットワークの継承がない。破綻して当然なのです。
 環境行政の国際標準は、(a)フィード・イン・タリフ(全種全量固定期間固定価格買い取り制)と、(b)炭素税と、(c)排出量取引。これらは全て、行政がルールメイカーとなって、従来と違った環境保全的な振舞いをしないと儲からない、新たな市場環境を作るものです。つまり環境問題は、政策的市場を導入するのに最適な政治課題です。
 行政のなすべきことは、善いことをしないと儲からない政策的市場の設営と維持なのです。行政はあくまでルールメイカーに徹し、プレイヤーは民間事業者にやってもらう。そうすれば今述べた(1)~(4)の弊害を越えられ、行政は「事業をする」のでなく「ルールを作る」だけですから、うまくすれば意味のないカネを回す必要もなくなる。
 うまくしなかったのがアメリカ。ここは上下両院で3万人のロビイストがいて、企業やNPOからカネをもらって議員などにロビイをかけ、企業やNPOに有利なルールメイクをさせる。ウィナー・テイクス・オールで、勝者が自分に有利なルールを作る結果、今やアメリカのNPOにはかつての草の根の匂いはなくなりました。
宮台  政策的市場が公共性を体現するには、ルールメイクの過程に注意が必要です。僕が提案するのが「住民投票とコンセンサス会議の組み合わせ」です。
 住民投票は「世論調査に基づく政治的決定」じゃない。半年後の投票に向け、ポピュリズムの批判に耐えるように住民同士がワークショップを繰り返し、民度を上げるためのものです。民度が上がるとルールメイクの過程をチェックできます。つまり官僚が「専門家による決定」という形で特殊権益を温存することや、議員が「専門家不在ゆえの手打ち」の形で行政決定を丸呑みすることを抑止できるのです。だから住民投票の結果いかんは二義的なものにすぎません。結果に一喜一憂しすぎるのは、問題の取り違えだと言えます。
 「コンセンサス会議」は、ワークショップのやり方で参加者を公募と抽選で選び、立場の違う専門家の意見を聴取し、専門家を排して参加者が最終決定します。医療におけるインフォームドコンセント&セカンドオピニオンと同じで、専門家に決めさせないのがポイントです。
 社会的な物事を専門家に決めさせてはなりません。行政官僚が専門家を人選した段階でシナリオが決まるからです。いま経産省の役人が「有識者」を人選した、長期的エネルギー政策を答申する、「総合資源エネルギー調査会基本問題審議会」などが開かれていますが、傍聴すれば会議が単なる茶番であることが分かります。
 〈補助金が欲しくて行政に従う社会〉の変形バージョンに〈交付金が欲しくて中央に従う地方〉があります。機関委任事務など霞が関のデミセとして振る舞うと、地方自治体にカネが落ちます。これもやめるべきです。これも単なる「べき論」じゃない。やめないと地方が社会経済的に空洞化するからです。
 国レベル同様、自治体レベルでも、善いことをしないと儲からない政策的市場を作るしかありません。従来の地方分権化は「地方自治体化」でしかありませんでした。国家公務員が地方公務員に置き換わるだけで、〈任せて文句埀れる作法〉も〈空気に縛られる作法〉も全く変わりませんでした。
 そうでなく、〈引き受けて考える作法〉と〈合理を尊重する作法〉に基づく「参加と自治」に支えられた〈共同体自治〉でなければなりません。エネルギー分野はそのための練習台になります。例えば先進国はどこも電力会社と電源の組み合せを選べます。安いものを組み合わせても自然エネルギーだけ組み合わせても良い。
 需給調整に関するデマンドレスポンス(需要者側の調整協力)が常識で、需給調整特約(電力使用時刻をずらすと価格割引)をにらみながら、事業者であれ家庭であれ、電力使用時間を選びます。独占的電力会社お任せじゃない。今日の〈共同体自治〉はまさにエネルギーから始まるのだと言えます。
 こうした〈エネルギーの共同体自治〉に〈食の共同体自治〉が組み合わされば、〈共同体自治〉は膨らみます。〈食の共同体自治〉と言えば、1980年代に北イタリアのブラから始まったスローフード運動です。巨大スーパーで有機野菜やトレイサブルな食品を買うことじゃない。〈食の共同体自治〉の基本は共同購入です。
 「原発をやめられない社会」をやめるとは、巨大システムへの〈依存〉をやめること。〈引き受けて考える作法〉と〈合理を尊重する作法〉に基づく〈自立〉です。これを、「べき論」じゃなく、第一に〈補助金行政から政策的市場へ〉のシフトに基づく淘汰で達成し、第二に〈エネルギーと食の共同体自治〉で達成します。
 以上のように、僕らが抱える共通問題の中では、原発は部分的問題に過ぎません。
(次回へ続く)