HOME > 対談・真剣勝負 > 第9回 甲野 善紀

身体と言葉の関係性 常識を疑え 切実な思いから学び、生きる時代の到来

思考停止に誘う「科学的」という言葉
出口  よく子供たちに、「考える力をつけろ」と言いますよね。でも、「考えるとは何か」については、誰も教えない。

 論理的に考えるとは、言葉の規則に従ってものを考えるということですが、言葉の規則も教えずに、「さあ、考えなさい」と言ったところで、何を考えていいかわからない。考えているつもりでも妄想でしかない。
 本当に身につくには、ひとつひとつの言葉に習熟して、さらにもっと深いレベルへ持っていかないといけないと思っています。
甲野  いまのお話をうかがっていて、私はすごく論理的に考えていたんだなということがよくわかりました。
 たとえば、いまのスポーツトレーニングでは、ウエイトトレーニングなどで筋肉を部分的に鍛えることを良しとしています。けれども部分に筋肉がつくのは、部分に負荷を掛けるからこそ起きるのです。

 いいパフォーマンスは、全身を協調させて生まれるわけですが、それとは正反対の部分に負荷を掛けるという、下手な身体の使い方をしておきながら、パフォーマンスを上げようとするのは、論理的に考えておかしいですよね。うまくなるはずがないことをやって上達しようとしているのですから。
出口  なぜまったく論理を欠いている取り組みを疑わないのでしょう?
甲野  そのトレーニング方法が「科学的だ」といわれると思考がそれ以上、働かなくなるんじゃないでしょうか。
出口  確かに日本人が「科学的」というときは、論理によってもたらされたものじゃなく、「科学者が言うから科学的なんだ」という理解の仕方ですよね。
甲野  ええ、だから科学者の感情論も科学的な見解に数えられてしまいます。本当におかしな話がたくさんあります。

 私は介護の現場で働く人とも関わりあるのですが、あるテレビ局のディレクターが寝た人を起こしたり、座っている人を抱え上げたりといった私の技の説明に対して、大学の先生のコメントがついたことで、「ああ、これでやっと科学的解明ができた」と安心したように言ったのです。そのとき、「もう本当にどういう頭の構造をしているんだ」と思いましたね。つまり、科学者がコメントすれば、それが本当につまらない、少し頭のまわる人ならどう考えても的外れに思える解説でも、科学的説明になるというのですから。
出口  科学以前、論理以前の問題がいろんなところで見られますね。たとえば検察だってそうです。「こいつは悪いことをしたに違いない」と決めつけて、無理やりにでも証拠をつくって起訴しようとする。
甲野  論理に矛盾があっても強引に無視する。そんなひどい状況が、いまの時代にはいろいろあるように思います。
洗顔に準備運動はいらない
出口  先生の本で面白いと思ったエピソードがいくつもありますが、そのうちのひとつを言うと、スポーツ選手はまず準備運動をしてから試合に臨む。それがいまの常識だし、練習の基礎となっている考えですよね。

 ところが武術の実際で言えば、そんなことをしていたら斬られると書かれている。つまり、武術からすれば、準備運動自体が非常識です。そうなると昔の稽古は、いまと違って、単純な反復練習ではなかったのでしょうね。
甲野  西洋のダンサーを対象にワークショップをやったとき、彼らがいちばん驚いていたのは、私が準備運動をしなかったことでした。「準備運動もしないで急にさまざまに動いて、どうして身体が壊れないんだ?」と不思議がっていました。

 ですから、その時は「皆さん朝起きて準備運動してから顔を洗ったりしないでしょう?身体を動かすというのは洗顔と同じです」と答えました。

 私の動きは全体が結果として動いているから局部に負担を掛けない。だから急に動いても壊れることはないのです。それにしても準備運動やストレッチには問題が多いと感じています。
出口  どういうところが問題なんですか?
甲野  動きというのは、ある種の身体の記憶です。だから下手に身体を伸ばしたりすると記憶をめちゃくちゃにしてしまう可能性があるのです。だから準備運動をするのであれば、自分のやりたい技の動きを緩やかな形で行うほうがずっといいと思いますよ。

 私の知り合いのスポーツのトレーナーが、準備運動をしない状態と入念にストレッチしてからのゴルフのスウィングを計測したところ、後者の方がスピードが落ちていたそうです。この違いは、身体の統合性をストレッチによって失ったからではないかと考えられます。
出口  そう言えば、日本の野球選手は試合前に投げ込みをしますが、メジャーリーグではあまりしないそうですよ。僕らが常識と思っていることの多くは、案外怪しいものですね。
甲野  常識と言えば、火傷をしたときに「水で冷やせ」と言いますよね。けれども、風呂の温度よりやや熱いぐらいの湯に浸けた方が治りが早いんですよ。

 以前、食事に行った際、鉄板焼きの鉄板に触れて火傷をしたので、「これはちょうどいい機会だ」と思って、土瓶に入った熱いほうじ茶に指を浸けてみました。ものすごくジンジンしたのですが、その後、夜になってふと気づけば、「そういえば今日の昼間火傷したな」くらいのもので水ぶくれにもなりませんでした。ただその部分の皮膚が少し鈍く感じられただけで1週間ぐらいすれば、皮が剥けて痕も残らなかった。

 皮膚はすごく暗示を受けやすいので、熱い湯に漬けるという療法は、ある種のホメオパシー的な方法というか、「火傷した」という不安な記憶を消すようなものではないかと思います。