HOME > 対談・真剣勝負 > 第9回 甲野 善紀

身体と言葉の関係性 常識を疑え 切実な思いから学び、生きる時代の到来
暗示における言葉の効用
――  暗示を受けやすいとは、言葉の影響を受けやすいということですが、そういう意味合いでの言葉の使い方は、学校や家庭でも教わる機会は少ないと思います。先生はどういう体験の中で、そのような言葉の作用について知ったのでしょう?
甲野  整体協会との出会いでしょうね。創設者の野口晴哉という人物は、すごく巧みに言葉も使うことが出来た方で、たとえば立派な髭を生やしていた人に、「あの髭を剃らせてみよう」とある人に言って、その髭を生やした人に向かって「立派な髭ですね。でも、味噌汁を飲むとき邪魔になりませんか」と言葉をかけたそうです。するとその言葉が相手にパッと入ってしまった。そうしたらその言われた人は、もう味噌汁を飲むたびに気になってしょうがなくなり、とうとうその人は髭を剃ったそうです。

 同じ言葉を他の人が言ったところで剃ることはなかったでしょうが、野口晴哉という人物は人がどうしても気になるような角度で言うことができた。それはおそらくその人がとても気になるような形で身体の感覚を移し入れたんだと思います。
――  そういうエピソードは、出口王仁三郎にもいろいろありそうですよね。
甲野  私が王仁三郎の伝記的な小説である『大地の母』(毎日新聞社・みいづ舎刊)を読んでとても印象深いと感じたのはいくつもありますが、ひとつ例をあげるなら、後に最高幹部になる梅田信之のところに王仁三郎がやって来て、妻の梅田安子が「ありがたい話でもしてもらえたら」と思っていたのに、バカ話ばかりするわけですね。

 それで梅田安子は帰る王仁三郎を見送る際に、「なんで神様の話、しとくれやしまへんのどす」と言ったら、王仁三郎は「あれでええのや。時節がくると梅田はんは、わしの手紙一本ですぐ飛んできよる。けどなあお安さん、梅田はんが神さまのほう向いたら、お前らの信仰など足元へも寄れんで。そうならんようにあんたも身魂磨いとけよ」と言ったというあの場面です。
 後で手紙が来て、そこには「春の大祭があるから来たらどうか」しか書いていないけれど、梅田信之は「お前と一緒に綾部へ行くのや。この手紙、ぐんと気に入った」と言い、妻の安子と初めて参綾(さんりょう・綾部の大本教に参拝すること)するという運びになった。
 そしてその後の梅田の信仰の燃え上がり方は凄まじいですよね。

 最初梅田は、王仁三郎が「祓いたまえ、清めたまえ」とか言いながら金をむしり取るんじゃないかと思って警戒していたようですが、腹を抱えて笑うような失敗談のバカ話ばかりして、あっさり帰って行く。あのへんの人心のつかみ方っていうのは、見事ですよね。
出口  そうですね。『大地の母』を久しぶりに全部読み直してみたんですが、以前と違った印象をもちました。特に後半は王仁三郎というよりも、王仁三郎の周りに集まってくる人たちが半ば主人公みたいな感じがしました。
 非常に怖いし、面白いと思ったのは、熱心に信仰すればするほど、どんどんおかしなことになる人が増えていくところです。
  (次回へ続く)