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今の教育に欠けている事 本質から政治を読み解く 本質を見極める力
出口  いまの日本の教育の前身的なものは、蘭学に求められると僕は思うのです。
 幕府の鎖国政策のもとでは、オランダ語の書物しか自由に手に入らない。そのため当時、医学であろうが科学であろうが、西洋の学問とはオランダ語を翻訳することそのものでした。そして開国を機にオランダ語がドイツ・フランス語、やがて英語に変わっていっただけで、ずっと学問イコール、学術書の翻訳だったんですね。
 明治時代、大学に行けたのはごく一部のエリートだけです。国は彼らが翻訳したものを、すべての日本人に一斉に模倣させる教育システムを作っていった。だから、文系・理系を問わず大学入試は英語中心で、その狙いは翻訳能力を試すことにあった。ここから、何年学んでもしゃべれない英語教育の型ができたのでしょう。
 また西洋を模倣する訓練として、学校では算数の計算や記憶・模写を徹底させた。実際、これで日本はうまくいったのですね。模倣が優秀な人がどんどん出世していったし、またそれで企業も業績を上げられた。西洋の良いものをいかに早く見つけ、いかに模倣するかという時代が続いたのです。
 模倣から先進型の教育に切り替えるチャンスは、日露戦争が終わった後の頃にあったと思います。しかし、「戦争に勝った」とプロパガンダしたために、日本は軍国主義に入っていく。軍人教育はさらに模倣ですよね。上官の言うことをいかに素早く的確にやるかという。そして、終戦を迎えてしまった。
 結局、日本の教育において、自分で体系的に物事を捉えて考えさせるような指導は、一度も行われなかったと僕は思っているのです。
松井  そうかもしれませんね。参謀本部が弱く、国民との関係においてもただひたすら鼓舞するだけだったのも、考えるという訓練をしてこなかった結果かもしれません。
 今年は平城京が出来て1300年なのですが、いろいろな人と話をする中で、その間の歴史について思いをはせてみたことがありました。おそらくユーラシア、シルクロードから様々な文化が平城京にたどり着いた。続いて、京都を窓口に唐や南宋、明の文化が入ってくる。そして、今おっしゃったように江戸時代にはオランダ、明治になると英米やドイツ・フランスの大陸文化が入ってきて……、まあそれをずっと吸収する歴史とも言えたわけです。そういう様々な文化を東西から取り入れ、それを古来の日本の価値観と混ぜ合わせ、いまの独特の日本の文化になった。
 そして今、日本という国がどういう文化や社会を作っていくべきかということを、もう少し独自に考えていかなければいけない時期ではないかと思います。
 具体的に言うと、官僚制も近代ヨーロッパの中央集権国家の制度から取り入れたものを日本流にこなしてきたものです。それが霞が関という街を中心に、日本を中央集権化し近代国家を形成し、政治・行政制度とともに、日本の教育・経済・地方自治制度を発展させてきた。しかし、その発展させてきたものを、もう一回自分で考え直す訓練をしなくてはならない時期なのかもしれません。
 ある種いびつな省庁縦割りと天下りによって、入省から75歳位まで一つの省庁グループが面倒を見る、従来の霞が関の構造の中に入ってしまうと、いわゆるエリートとされる人々であっても、結局所与の条件の中で一番効率的なやり方、あるいは自分が出世するやり方を目指して行動してしまう。日本人は劣った民族じゃない、非常に優れた人たちが沢山いるのに、それが全部箱の中に押し込められてしまって、本当の意味での問題解決ができないような官僚制度になってしまった。
 政治家も同じですよね。同じような構造の中で政治家は力を増してきて、特定の官僚グループと一緒に結んで、族議員と言われるような活動をしてきた。
 私はいま「新しい公共」を提唱していますが、今言ったような従来の中央の官をヘッドにしたピラミッドが、各分野ごとに「公共の世界」を支配してきたわけです。しかし、残念ながらこの仕組みは、「トータルな視点で諸問題をどう解決するか」ということを考えるのが苦手です。問題解決を、あるいはそもそも問題の所在の見出し方を、もっとしなやかにできるような多極分散のフラットな仕組みを作らなければいけないのですが。
 これは、おそらく出口先生のおっしゃるように、まず教育というところから入らないと実現できないでしょうね。せっかく素晴らしい人材がいるのに、殺してしまっているような気がします。