名作文学を読み解く

出口汪の文学鑑賞

出口汪と読み解く 森鴎外『舞姫』

昨年末出版された『教科書では教えてくれない日本の名作』(ソフトバンククリエイティブ)は、出口汪先生と女子高生“あいか”による軽妙な掛け合いのもと、名作といわれる文学作品の本当の面白さと深みを教えてくれる対談集に仕上がっています。

実はその本には、本来掲載されるはずだった幻の原稿が存在します。それは、出口先生が大学・院生時代に七年間研究テーマにされていた森鴎外の名作『舞姫』です。その情熱ゆえ大作となり、ページ数の関係上泣く泣く割愛された、幻の対談を「出口の文学鑑賞」第1弾として特集いたします。
その前に……まずは、出口先生と森鴎外との出会いをご紹介します。

私の大学での恩師は、実に厳格な指導で知られていた。今では、もう珍しいのかもしれないが、教授と学生の問には、昔風の師弟関係が存在した。
あるとき、先生は私に「卒業論文は誰にするか、もう決めたのか」と尋ねられた。
私は日本文学科の近代文学専攻だった。私はすかさず「川端康成にします」と答えた。
先生はしばらく考えた後、「川端は駄目だ。他のにしなさい。他のなら、誰にする?」とおっしゃった。

 

私は一瞬唖然とした。どうして卒業論文のテーマまで干渉されなければならないのだろう。でも、気を取り直して、次に研究したい作家の名を答えた。
「太宰治がいいです。太宰治にします」
先生はまたしばらく考え、「太宰も駄目だ。違うのにしなさい」と、ぶっきらぼうにおっしゃった。
私はやけくそになった。頭のなかで、懸命に次の作家の名前を探していた。そのとき、ふと芥川の顔が浮かんできた。
「先生、ならば、芥川をやらせてください。お願いします。芥川龍之介が駄目なら、他には特に研究したい作家が見当たりません」
私は、今度ばかりはすがりつくように言った。先生はやはり難しい顔をなさって、それからゆっくりと「芥川も駄目だ」とおっしゃった。
いくら先生でも、これではあまりにも横暴だと思った。そこで、「どうして駄目なんですか?」と聞いてみた。
先生は少し困った顔をされて、「出口君。今、君が挙げた三人の作家の共通点がわかるかね?」と、質問された。
「さあ……」
私は首を傾げるばかりであった。

先生は少し間をおいて、
「三人とも、自殺した作家だよ」とおっしゃった。
「あっ」と、私は思わず声を上げそうになった。
「君は一番自分に似た作家を挙げたんだ。自分に近い作家の研究なんて、誰にでもできる。でも、そんな作家ばかり研究していると、そのうちとりつかれて、君も自殺するよ」
私は返す言葉がなかった。あのころの私は典型的な文学青年で、自分の感性に溺れていて、独り善がりの世界にどっぷりと浸かっていた。

「では、どうしたらいいんですか?」
すっかり毒気を抜かれた私は、おとなしくそう聞いた。
「ところで、出口君、君の一番嫌いな作家は誰かね?」
私はなぜそんなことを質問されたのか、不審に思いつつも、素直に思い起こしてみた。すると、今度は森鷗外の顔が脳裏に浮かんできたのだ。
「先生、鷗外です。あの官僚的で、気取った感じが一番嫌いです」
私がそう答えたとき、先生は心なしかにやっと笑ったと思った。
「そうか、鷗外か。では、出口君、これからは、その嫌いな鷗外を研究することにしなさい」
先生は平然とそう断言された。私は罠にかかったのだ。気づいたときはすでに遅かった。私は大学の三年、四年と修士の二年間、そして博士の三年間と、この後七年間も一番嫌いな鷗外を研究する羽目になったのだ。

このことがはたして、私に対する最も有効な指導法だったかどうかは、今でもよくわからない。結局、私は研究することが嫌で嫌でたまらなく、また自分の自由が束縛されることに耐えられなかったため、博士課程修了をよい機会に、大学から飛び出してしまった。
でも、今ならわかることもある。そして、嫌いな作家を研究し続けた七年間が現在の私を作ったともいえる。
好きな作家はいつだって研究できるのだ。それに対して、嫌いな作家はほうっておいたらいつまで経っても研究しようとはしないだろう。特に、私のような性格では。
ましてや、それが鷗外だから困ると、先生は考えられたのだろう。
将来、研究者になる人間として、鷗外がわからないでは通用しないのである。
どうでもよい作家なら、先生も違った判断を下したかもしれない。
近代文学を研究するには鷗外をわからなければならない。好きな作家なら、止められたって、自分で勝手に研究するはずである。

大学を辞めてから、改めて鷗外を読んでみた。不思議なことに、あれほど嫌っていた鷗外がしみじみとわかるのだ。もちろん、本格的に研究しだしてから、かつての偏見はなくなり、鷗外のすごさは十分に理解していた。でも、しみじみと身にしみたのは、正直にいって、大学を去ってからかもしれない。
私が学んだことは、実に多かった。一見、官僚的で、冷たく、面白味のない人間だと思いこんでいた鷗外に、それとはまったく反対の一面があることを知ったのだ。
私は一人の文学者を、そして一人の人間を、一面的に、しかも表面的にしか見ていなかった自分を恥じた。
さらに、自分と正反対の、それだけでなく、はるかに大きい人物とぶつかることの意味を知った。
人間はそれによって成長するのである。自分と同じタイプの人間とばかりつきあったのでは、成長はしない。

私は鷗外によって、学ぶとはどういうことかを知った。
私は、鷗外なら鷗外しか視野になかったのである。しかし、物事はすべて何かとつながっていて、単独で存在することなどあり得ない。
鷗外がわかるということは、同時に漱石がわかるということだったのである。さらに、漱石がわかるということは、芥川がわかるということである。それは同時に、日本の近代が理解できるということでもあったのだ。そして、明治なるものがわかってこそ、初めて芥川の時代、大正が理解できるのである。
私が最も愛した作家の一人が太宰治だが、鷗外は一見、彼とは正反対のタイプの作家に思える。でも、太宰は「小説家は、聖書と鷗外全集があれば充分だ」というようなことをいっている。
鷗外がわからなかったら、太宰も真にわかることができなかったのではないか。
ものを知るというのは、眼前のものを知ることだけを意味しない。物事は縦横無尽に絡み合っているのだ。その絡み合いのなかに身を投じる試みこそ、ものを知るということである。
ロジカル・シンキングも、そのことと無関係ではない。

出口汪著『きのうと違う自分になりたい』(中経出版)より

出口先生と森鴎外の意外な出会い。いかがでしたか?
次回より、出口先生と女子高生“あいか”の名作解説がスタートします。ぜひご期待ください。

あいか プロフィール

私の名はあいか。
可憐な乙女です。一応高校生をやっているのだけど、勉強はあまり好きではありません。
好きなのは音楽と漫画、それにテレビのバラエティ番組とゲーム、特にゲームには嵌(はま)っています。後は、アイスクリーム。
夏目漱石や芥川龍之介は教科書で習いました。でも、難しくて分からない。第一、古めかしくて時代遅れ、なぜ今それを読まなければならないのか、ちっとも分かりません。
携帯小説の方がずっと今風で、感動します。
でも、出口先生が文学の面白さを教えてくれるって言うのだから、ちょっとくらい挑戦しようかなって。
私も世の中のことを知って、そろそろ大人にならなくちゃ、ね。

『教科書では教えてくれない日本の名作』(ソフトバンククリエイティブ)より

出口

ということで、次週からこのHPで文学講義を始めるよ。

あいか

はい先生、私にでも分かるように、ちゃんと教えてね。

出口

任せておけ。あいかに分かるなら、HPをご覧になっている皆さんにも分かるから。

あいか

失礼しちゃう。

あいか

森鴎外って、教科書に出てくる、あの少し禿げたおじさんでしょ?
「舞姫」って、何だか古くて、難しい文章で、国語の授業で習ったけど、ちっとも分からなかったわ。

出口

あいかちゃん、「舞姫」を教科書で読んだとき、どんな感想を持った?

あいか

太田豊太郎がエリスを棄てる話でしょ?豊太郎って、なんかはっきりしなくて、教科書読んでてもいらいらしたわ。
第一、自分の出世のため、妊娠しているエリスを棄てて帰国するなんて、最低。だいっきらい。逆に相沢謙吉の方がクールでかっこよく思えたくらい。

出口

へえ~、結構手厳しいんだ。相沢謙吉がかっこいい?

あいか

今の男の子、子どもっぽくて頼りないもの。相沢のような男らしい人がタイプ。
でも、実は、エリスもあまり好きじゃないの。だって、最後まで男にすがりついてみっともないもの。だから、いつまでも女は自立できないのよね。う~ん、もし、私がエリスだったら、さっさと別れて、後から慰謝料を請求するわ。

出口

慰謝料?
(ぶっ)あいかちゃん、いさましいなあ。
でもね、文学は自分にひきつけて読んだら駄目なんだよ。結局、何を読んでも自分の今の感覚や価値観に照らして、好きか嫌いかで終わってしまう。それなら、せっかくの名作を読んでも、少しも自分の世界が広がってこない。もったいないよ。

あいか

先生、じゃあ、どう読めばいいの?

出口

まず今の自分をいったん白紙にして、その作品世界を正確につかむこと。作品が発表されたのは明治二十三年、ものの価値観も状況も全く今とは異なるんだ。
大切なのは、しっかり読むこと。教科書で習っていても、実は読んでいるようで、ちゃんと読んでいないことが多いんだ。

あいか

じゃあ、しっかりと読んでみる。先生、読み方、教えて。

出口

うん、一緒に読んでいこう。全部読み終えた後、あいかちゃんがどんな感想を抱くのか、楽しみだな。

家や国家を背負って生きた明治人
物語は太田豊太郎がドイツから帰国する船中から始まる。
豊太郎は「腸(はらわた)日ごとに九廻(きゅうかい)すともいふべき惨痛(さんつう)」といった恨みを抱いて、今日本に帰ろうとしているんだ。
なぜ、豊太郎がこれほどの恨みを抱いたのか、その理由を明かすべく、物語は時間を遡っていく。

あいか

「腸(はらわた)日ごとに九廻(きゅうかい)すともいふべき惨痛(さんつう)」ってどんな痛み?

出口

一日に九回、内臓が引きちぎれそうになるほどの痛み

あいか

ええええっ!そんなの、死んじゃう。

出口

そして、肝心なのは、その痛みが「恨み」から生じたものだということ。豊太郎は、それほどの恨みを胸に隠したまま、今帰国の途につこうとしている。

あいか

では、その恨みの正体が明かされるのね。何だかぞくぞくしてきた。禿のおじさん、やるじゃない。

出口

では、続きを読んでいこう。

余は幼き比(ころ)より厳しき庭の訓(おしえ)を受けし甲斐に、父をば早く喪(うしな)ひつれど、学問の荒(すさ)み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首(はじめ)にしるされたりしに、一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某(なにがし)省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え殊(こと)なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を喩(こ)えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々(はるばる)と家を離れてベルリンの都に来ぬ。

あいか

わああー、先生、難しいよ。でも、なんだか豊太郎って、いや。いつも一番だって、いばってるもん。

出口

確かにそうだ。彼はいつでも一番で、今回の留学も「我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて」とあるように、今こそ自分の出世、そして家を興すチャンスだと、血気にはやっている。
才能のある若者が、精一杯誇らしげに胸を張って、輝かしい未来を切り開こうとしている、そんな意気込みが感じられるよね。
でも、成功したい、お金持ちになりたいといった今の若者とは、鴎外も太田豊太郎も決定的に違うんだ。彼等は単に自分の欲望を満たすためではなく、家や国家を背負って生きている。

あいか

家や国家?

出口

「舞姫」が発表されたのは明治二十三年。だから、この時代のことを頭に置いて読まなければならないんだよ。当時はすべてを西洋から学ばなければならなかった。一刻も早く西洋に追いつかなければ、植民地化される危険にさらされていたんだ。

あいか

ああ、学校で習ったことがある。

出口

鴎外も豊太郎も新帰朝者といって、家や国家を背負って留学した、超エリートだったんだ。当時の日本はまだ封建的で、仕事や恋愛の自由なんかほとんど認められていなかった。少なくとも、新帰朝者は官費で留学したのだから、自分の欲望よりも国家のためが優先される。

あいか

ねえ、先生、一つ聞いてもいいかしら。このお話、本当のことなの?だって、森鴎外と太田豊太郎と、生い立ちやキャラがすごく似ているんだもの。

出口

いいところに気づいたね。確かに、そっくりだ。いや、鴎外はわざと自分そっくりの人物を主人公にしたとしか考えられない。
後で詳しく説明するけど、そこに「舞姫」のもつとも大きな謎があるように僕には思えるんだ。

あいか

ふ~ん、で、豊太郎は今成功して、日本へ帰国の途上にあるのでしょ。それなのに、どうしてそんな恨みを抱いているの?
それって、おかしいよ。だって、長い留学生活の果てに、晴れてようやく故郷に帰ることができるのに、ちっともうきうきしていないんだもの。

出口

あいかちゃん、焦らない。その謎はやがて明らかになるから。
物語は冒頭船中での恨みの告白から、一転、ドイツ留学時代の過去へと遡っていく。

余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽ちこの欧羅巴(ヨーロッパ)の新大都の中央に立てり。

あいか

そうそう、こうこなくっちゃ。だって、国家を背負った若者が、目を輝かせて異国の地に立ったんだもの。

出口

太田豊太郎にとって、見るもの聞くものすべてが新鮮で、生き生きとベルリンで活躍し始める。まさに鴎外の留学時代を想起させる記述が続いていく。
ところが、三年経つと豊太郎の思いは次第に変わっていく。

かくて三年(みとせ)ばかりは夢の如くにたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚(こうしょう)なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒(ほ)むるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜(よろ)しからず、また善く法典を諳(そらん)じて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。

あいか

う~ん、少し文章が難しいけど、なんとなく分かる気がする。「所動的、器械的の人物」って、人の言われるままの人間ってことでしょ?

出口

そうだよ。ここに鴎外のその頃の悩みが投影されている気がするな。
ただし、君たちとは時代が違うと言うことはしっかりと頭に置いておかなければならないよ。ベルリンで、豊太郎は「自由なる大学の風」に当たった。そのことの意味は、今とは全然異なっているはずなんだ。
豊太郎は家のため、国家のため、法律家たらんと懸命に頑張ってきた。これが「我ならぬ我」で、日本の風土の中で今までそれを疑問に感じたことがなかったのだ。
ところが、市民革命以後のベルリンは「自由なる風」が吹き荒れていた。誰もが好きな仕事に就き、好きな人と恋愛をし、自分のために生きようとしていた。

あいか

ああ、わかるわ。江戸時代の武士が、タイムマシンに乗って、いきなり現代に来たみたいなカルチャーショックね。

余は私(ひそか)に思ふやう、我母は余を活(い)きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。

出口

この瞬間、豊太郎は封建人から近代人へと、大きく変貌を遂げようとしている。
封建人は、武士ならば武士、百姓ならば百姓と、生まれながら、身分も職業も決められている。そして、それに対して何の疑問も抱くことはなかった。まさに豊太郎が初めてベルリンの地に足を踏み入れたときがそうだっただろう?
ところが、今の豊太郎は真の自己と懸命に向き合おうとしている。

あいか

学校で習った、自我の確立って、このことでしょ?
今までなんかぴんと来なかったけど、今なら分かる気がする。

出口

豊太郎はまさに日本で最初に自我が芽生えたが故の苦悩を背負った人間だとも言えるんだ。

嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、怎(いか)でか人に知らるべき。わが心はかの合歓(ねむ)といふ木の葉に似て、物触(さや)れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり。

出口

ここで着目して欲しいのは、豊太郎自身が自分のことを「弱くふびんなる心」と告白していることだ。のちのちの物語の展開の伏線になってくる。

あいか

「わが心はかの合歓といふ木の葉に似て、物触れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり」なんて、なんか素敵。思わず守ってあげたくなるわ。

ー薄幸の美少女エリスとの出会い

出口

さて、いよいよ物語が展開し始める。
ヒロイン、エリスの登場。

或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、
我がモンビシユウ街の僑居(きょうきょ)に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。

出口

豊太郎が自分の住居に帰ろうとするんだが、夕暮れ時ぶらぶらと寄り道をしていることが、この文章から分かるだろ?

あいか

そうか。今までの豊太郎だったら、必死で勉強するため、寄り道なんかせずに、用事を済ませれば、一直線に帰ってくるもんね。

今この処を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の一扉に椅りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女(おとめ)あるを見たり。年は十六七なるべし。被(かむ)りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁(うれい)を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おお)はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。

出口

夕暮れ時、古寺の門に寄りかかって、美しい少女が一人で声を殺して泣いていた。それが豊太郎とエリスとの出会いだった。

あいか

先生、金髪よ。金髪。

出口

エリスは泣きじゃくりながら、豊太郎に訴えたんだ。

「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯(たくわえ)だになし。」

あいか

先生、これどういうこと?何が起こっているのか、よく分からない。

出口

この文章だけだと推測するしかないけど、父が死んだのに、お葬式を執り行うお金もないんだ。母は彼の言葉に従えと、彼女に暴力をふるう。「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを」とあるので、彼に肉体を提供することで、援助して貰うしかないということだろうな。そこで、エリスはどうしていいか分からず、泣いていた。

あいか

かわいそう。それにしても、「彼」って、何者なの?ひどい男。

出口

金髪の少女の名はエリス、ビクトリア座の踊り子で、「彼」はその座長。エリスが 貧しいことに付け込んで、彼女を自分のものにしようと、強引に迫っていたんだ。
豊太郎はエリスを気の毒に思い、助けてやった。そこから二人の恋愛は始まる。

鳴呼、委(くわし)くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛(め)づる心の俄(にわか)に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横(よこたわ)りて、洵(まこと)に危急存亡の秋(とき)なるに、この行(おこない)ありしをあやしみ、又た誹(そし)る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢(びん)の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、慌惚の間にこゝに及びしを奈何(いか)にせむ。

あいか

あ~あ、やっちゃた。恋は盲目って奴ね。

出口

ここで注意して欲しいのは、「この行ありしをあやしみ、又た誹る人もあるべけれど」とあることなんだ。官費で留学したのに、踊り子風情に夢中になってけしからんと、上官に告げ口する人がいて、ついに豊太郎は国からの費用が支給されなくなる。
ベルリンにたった一人、お金もないまま置き去りにされてしまうことになる。

あいか

で、結局、豊太郎はどうしたの?

出口

それを助けたのはエリスだった。そして、親友の相沢謙吉。

公使に約せし日も近づき、我命(めい)はせまりぬ。このまゝにて郷にかへらば、学成らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。さればとて留まらんには、学資を得べき手だてなし。 此時余を助けしは今我同行の一人なる相沢謙吉なり。彼は東京に在りて、既に天方伯の秘書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の編輯長に説きて、余を社の通信員となし、伯林(ベルリン)に留まりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。

出口

相沢謙吉は大臣である天方伯の秘書で、豊太郎に新聞社の通信員の仕事を紹介してくれたんだ。薄給だけど、これでとにかく生活ができるようになる。

兎角(とこう)思案する程に、心の誠を顕(あら)はして、助の綱をわれに投げ掛けしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼等親子の家に寄寓することゝなり、エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無きかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。

出口

そうやって、エリスと一緒に暮らすようになる。
二人の収入を合わせて、貧しいながらも楽しい生活が始まった。

あいか

同棲時代ね。
なんか、こんな生活も楽しそう。私って、意外と古風な女なのかも。

出口

明治二十一年の冬、ようやく静かな生活が訪れた二人に、新たな難題が持ち上がった。

エリスは二三日前の夜、舞台にて卒倒しつとて、人に扶(たす)けられて帰り来しが、それより心地あしとて休み、もの食ふごとに吐くを、悪阻(つわり)といふものならんと始めて心づきしは母なりき。嗚呼、さらぬだに覚束(おぼつか)なきは我身の行末なるに、若し真(まこと)なりせばいかにせまし。

あいか

赤ちゃんができたの?おめでたでしょ?
でも、何だかあまり嬉しそうでない。どうして?
「嗚呼、さらぬだに覚束なきは我身の行末なるに、若し真なりせばいかにせまし」って、どういうこと?

出口

ここでは豊太郎はまさに引き裂かれているんだ。
エリスに自分との子供が生まれる。エリスとの愛の生活は確かに幸せには違いない。
でも、故郷には自分の出世を願って待っている母や、家族たちがいる。
豊太郎がエリスを愛しているのは事実だが、すべては成り行きの中で起こったことで、豊太郎自身がエリスのために職を辞したわけではなかった。
友達の讒言(ざんげん)から職を失い、途方に暮れている中、自然とエリスと暮らすようになった。何も国や故郷を棄てると決意したわけではなかったんだ。

あいか

それはそうだけど、でも、それじゃあ、エリスがあまりにもかわいそう。
先生、エリスは本気で豊太郎を愛しているんでしょ?

出口

もちろん、エリスは今では豊太郎を一途に愛している。そんな時、相沢謙吉から一通の手紙が届く。

昨夜(よべ)こに着せられし天方大臣に附きてわれも来たり。伯の汝(なんじ)を見まほしとのたまふに疾(と)く来よ。汝が名誉を恢復するも此時にあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみいひ遣(や)るとなり。読み畢(おわ)りて茫然たる面もちを見て、エリス云ふ。「故郷よりの文なりや。悪しき便(たより)にてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思ひしならん。
「否、心にな掛けそ。おん身も名を知る相沢が、大臣と倶にこゝに来てわれを呼ぶなり。急ぐといへば今よりこそ。」

出口

相沢謙吉が大臣に従って、ベルリンに到着した。大臣が君に会いたいから、来いといった内容だったんだ。
君の名誉を回復するのは、この時だ、とも書き添えてあった。
相沢は豊太郎のために、懸命に力になろうとしている。

あいか

でも、エリスはきっと不安にちがいないわ。

出口

そうだね。エリスはそれでも大臣に会いに行く豊太郎の服装をいそいそ整えてやるんだ。そして、別れ際によほど不安になったのか、思わず、次のような言葉が口をついて出たんだ。

「否、かく衣を更め玉ふを見れば、何となくわが豊太郎の君とは見えず。」又た少し考へて。「よしや富貴になり玉ふ日はありとも、われをば見棄て玉はじ。我病は母の宣(のたま)ふ如くならずとも。」

あいか

先生、「我が病って?」

出口

もちろん、妊娠のこと。エリスはおなかの赤ちゃんが豊太郎をひきとめる大切なものと感じているらしい。

あいか

はあ~(大きな溜息)エリスの気持ち、よく分かるわ。豊太郎が自分を棄てて日本に帰るのではないかと、不安で不安で仕方がないのよ。

出口

いよいよ相沢謙吉と久しぶりに対面する。

あいか

相沢は豊太郎のこと、理解してくれたのかしら?

余が胸臆を開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれは屡(しば)驚きしが、なかなかに余をせめんとはせず、却りて他の凡庸なる諸生輩を罵りき。されど物語のをはりしとき、彼は色を正していさむるやう、この一段のことはもと生れながらなる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし。とはいへ、学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかゝづらひて、目的なき生活(なりわい)をなすべき。

あいか

ああ、やっぱり。相沢はエリスとのことを、単なる同情に過ぎないと思っているんだ。
だから――。

人を薦(すす)むるは先づ其能を示すに若(し)かず。これを示して伯の信用を求めよ。又彼少女との関係は、たとい彼に誠ありとも、たとい情交は深くなりぬとも、人材を知りてのこひにあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。意を決して断てと。是(こ)れその言(こと)のおほむねなりき。

あいか

いやだあ~。「意を決して断て」か。だから、言わないことじゃない。
いったいどうする気よ。エリスのおなかには赤ちゃんがいるのよ。

出口

さて、ここから慎重にテキストを読み取っていかなければならないんだ。豊太郎はエリスを棄てたのか、棄てなかったのか、有罪か無罪か。
エリスとの愛を取れば、半永久的に出世の道は閉ざされ、異国に置き去りにされてしまうことになる。今が復権の最後のチャンスなのだ。

貧きが中にも楽しきは今の生活、棄て難きはエリスが愛。

出口

これが豊太郎の、本心。
出世も、お金もいらない。ただエリスの愛があればいい。
でも、その一方、豊太郎は次のように自分の真情を吐露している。

わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、しばらく友の言(こと)に従ひて、この情縁を断たんと約しき。余は守る所を失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵すれども、友に対して否とはえ対へぬが常なり。

あいか

何よ、これ。優柔不断。これが「弱き心」の正体なのね。
やっぱりエリスを棄てるつもりじゃない。

出口

まだ棄てると決めた訳じゃないよ。その辺の決断を保留にするように、鴎外は巧みに描いているんだ。
「わが弱き心には思ひ定めんよしなかりし」とあるので、豊太郎はどちらも決めかねると告白している。そこで、「しばらく友の言に従ひて」と、「しばらく」とあることにより、「情縁を断たんと約しき」はとりあえずの処置。
判断を保留にしたまま、豊太郎は口先だけ相沢に約束したと、ここでは書かれている。相沢は自分のために懸命に骨を折ってくれている。そんな友の真摯な忠告を断ることはとてもできそうになかったんだ。

あいか

やっぱりわかんない。
それって、卑怯だし、軟弱、無責任じゃない。私、こんな男、絶対に好きになれない。

出口

今、あいかちゃんの男性の好みはひとまず置いておいて、ここでは豊太郎が判断保留のまま、とりあえずは相沢に情縁を絶つと約束してしまったことを読み取っておけばいい。

あいか

なんか、ひどい。

一月ばかり過ぎて、或る日伯は突然われに向ひて、「余はあす、ロシアに向ひて出発すべし。随ひて来(く)べきか、」と問ふ。余は数日間、かの公務に遑(いとま)なき相沢を見ざりしかば、此問は不意に余を驚かしつ。「いかで命に従はざらむ。」余は我恥を表はさん。此答はいち早く決断して言ひしにあらず。余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるときは、咄嵯(とっさ)の間(かん)、その答の範囲を善くも量らず、直ちにうべなふことあり。さてうべなひし上にて、その為し難きに心づきても、強(しい)て当時の心虚なりしを掩(おお)ひ隠し、耐忍してこれを実行すること屡々(しばしば)なり。

あいか

ああ、ここでも弱き心ね。
こうやってずるずると運命に流されていくのよ。

出口

その通りだね。
大臣に突然ロシア行きを命じられた。それを承諾するのだが、それも自分の意志で決断したのではなく、大臣に命じられて咄嵯に断ることができなかったんだ。
もちろん豊太郎の性質に大きな問題があるのは事実だよ。でも、それを断罪するのではなく、鴎外が何故そのような人物を執拗に描いたのかを考える必要がある。
そこに鴎外の悩みの本質があると思うんだ。

あいか

ふ~ん、そんなものなのかしら?

出口

豊太郎は大臣と一緒にロシアに行き、エリスとの長い別れが訪れる。二人の愛は、しばらく会えないことにより、ますます深まっていく。
ロシアにはエリスからの手紙が届く。

袂(たもと)を分つはた一瞬の苦艱(くげん)なりと思ひしは迷なりけり。我身の常ならぬが漸くにしるくなれる、それさへあるに、縦令(よしや)いかなることありとも、我をば努(ゆめ)な棄て玉ひそ。母とはいたく争ひぬ。されど我身の過ぎし頃には似で思ひ定めたるを見て心折れぬ。わが東に往かん日には、ステツチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せんとぞいふなる。書きおくり玉ひし如く、大臣の君に重く用ゐられ玉はゞ、我路用の金は兎も角もなりなん。今は只管(ひたすら)君がベルリンにかへり玉はん日を待つのみ。

あいか

ああ、エリスは豊太郎が大臣に認められて、日本に帰国したなら、自分も一緒に行けると信じようとしていたんだ。そのために、お母さんと喧嘩してまで、説得して。やっぱりエリスが可愛そう。

出口

豊太郎は死に物狂いで働き、次第に大臣の信任を得てきた。そして、豊太郎の知らないところで、着々と事態は進行していたんだ。
あいかちゃん、以前、豊太郎は相沢謙吉にエリスとの情交を断つと言ったのを覚えている?
相沢はそのことをすでに大臣に報告していた。大臣はすっかりエリスとの関係は切れていると思い込んでいる。

嗚呼、独逸に来し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし。さきにこれを繰つりしは、我(わが)某(なにがし)省の官長にて、今はこの糸、あなあはれ、天方伯の手中に在り。

出口

これが豊太郎の嘆きの言葉だよ。

あいか

う~ん、同情していいような、自業自得と言えば言えるような――。

出口

では、豊太郎が長い海外生活から、エリスのもとへ帰り着いたときの、エリスの態度を見てみよう。

車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐(とど)まりぬ。この時窓を開く音せしが、車よりは見えず。(ぎょてい)に「カバン」持たせて梯を登らんとする程に、エリスの梯を駈け下るに逢ひぬ。彼が一声叫びて我頸(うなじ)を抱きしを見て馭丁は呆れたる面もちにて、何やらむ髭の内にて云ひしが聞えず。「善くぞ帰り来玉ひし。帰り来玉はずば我命は絶えなんを。」

出口

おや、あいかちゃん、涙ぐんでいる。

あいか

人目を憚(はばか)らず、豊太郎に抱きつくなんて。
これほど一心に豊太郎の帰りを待ち望んできたんだわ。

出口

そうだね。
エリスは手紙の中で、「縦令いかなることありとも、我をば努な棄て玉ひそ」と訴えている。長く会えない日が続いて、豊太郎を慕う気持ちがいっそう募ってきたんだ。しかも、おなかの赤ちゃんも次第に大きくなっていく。
その一方、豊太郎が自分を棄てて、このまま日本に帰ってしまうのではないかという不安も大きくなっていく。
「帰り来玉はずば我命は絶えなんを」
エリスはまさに命も絶え絶えになって、豊太郎の帰りを待ちわびていたんだ。
そして、そうしたエリスの気持ちを一番分かっているのが、当の本人豊太郎自身だったんだ。

あいか

だったら、何故相沢謙吉にあんな約束をしたのよ。やっぱり豊太郎はひどいわ。

出口

「舞姫」を論ずるとき、恋愛か出世か、豊太郎は苦悩の果てに、出世のためにエリスを棄てたといった論調が見られることがあるのだが、丁寧に読んでいけばそうは書いていないことが分かるだろ?
出世のためにエリスを棄てたんじゃない。はなからエリスを棄てる気はなかった。だが、彼の「弱き心」のため、相沢の自分に対する真摯な忠告に、否とは言えなかった。そして、相沢はそのことを勝手に大臣に報告した。
いまさら大臣には相沢の言ったことは嘘だとは言えない。
だから豊太郎は苦悩するしかないんだ。

あいか

何が「弱き心」よ。結局、自分が悪いんじゃないの。
豊太郎は有罪よ。絶対に有罪。

二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢(あえ)て訪(とぶ)らはず、家にのみ籠り居(おり)しが、或る日の夕暮使して招かれぬ。往きて見れば待遇殊にめでたく、魯西亜(ロ シア)行の労を問ひ慰めて後、われと共に東にかへる心なきか、君が学問こそわが測り知る所ならね、語学のみにて世の用には足りなむ、滞留の余りに久しければ、様々の係累もやあらんと、相沢に問ひしに、さることなしと聞きて落居(おちい )たりと宣ふ。其気色辞(いな)むべくもあらず。あなやと思ひしが、流石に相沢の言(こと)を偽なりともいひ難きに、若しこの手にしも縋(すが)らずば、本国をも失ひ、名誉を挽(ひ) きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝(つ) いて起れり。嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承はり侍(はべ)り」と応へたるは。

あいか

あ~あ、もう知らない。
やっぱりエリスを裏切って、日本に帰るつもりじゃない。
それを「弱き心」のせいにするなんて、非情だわ。男らしくない。
結局、本当のことを言って、大臣の怒りを買い、その結果、帰国に道を閉ざされるのが怖かったんじゃないの。

出口

その通り。そういった意味では、豊太郎はもちろん有罪だ。
でも、それじゃ、豊太郎はエリスを棄てたかと言ったら、必ずしもそうは言い切れないところがあるんだ。

あいか

どうして? よく分からないわ。

黒がねの額(ぬか)はありとも、帰りてエリスに何とかいはん。「ホテル」を出でしときの 我心の錯乱は、譬(たと)へんに物なかりき。余は道の東西をも分かず、思に沈みて行く程に、往きあふ馬車の馭丁に幾度か叱(しつ)せられ、驚きて飛びのきつ。暫くしてふとあたりを見れば、獣苑の傍(かたわら)に出でたり。倒るゝ如くに路の辺(べ) の榻(こしかけ)に倚りて、灼くが如く熱し、椎つちにて打たるゝ如く響く頭(かしら)を榻背(とうはい)に持たせ、死したる如きさまにて幾時をか過しけん。劇しき寒さ骨に徹すと覚えて醒めし時は、夜に入りて雪は繁く降り、帽の庇(ひさし)、外套の肩には一寸許(ばかり)も積りたりき。

出口

ここで描かれているのは、豊太郎の錯乱状態なんだ。
大臣にはすでにエリスとの情交を断ったと言ってしまった。だが、棄てがたきはエリスの愛、実際にエリスに正面向かったなら、とても彼女を捨てることなどできないだろうということは彼自身充分分かっていた。だから、錯乱するしかない。
まさにここでも「弱き心」が描かれているわけだが、結局は豊太郎はエリスを捨て去ることができなかったんだ。

あいか

本当に分からない。捨てることができないって、じゃあどうしたの?

我脳中には唯我はゆるすべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。

出口

これがその時の豊太郎の告白だ。大臣に「承はり侍り」と言ってしまった。そのこと自体がすでにエリスに対する裏切りであることは明白だ。
その罪の意識が彼の心の奥深くを、錐のように突き刺した。
大臣にいったんは約束したものの、豊太郎はどうしてもエリスを捨て去ることはできない。

あいか

ああ、豊太郎はどうするのかしら。

四階の屋根裏には、エリスはまだ寝(い)ねずと覚(お)ぼしく、烱然(けいぜん)たる一星の火、暗き空にすかせば、明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如き雪片に、乍(たちま)ち掩はれ、乍ちまた顕れて、風に弄(もてあそ)ばるゝに似たり。戸口に入りしより疲を覚えて、身の節の痛み堪へ難ければ、這(は)ふ如くに梯を登りつ。庖厨(ほうちゅう)を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に倚りて襁褓(むつき)縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」

出口

エリスが豊太郎を一目見て、思わず叫び声を上げた。
それほど豊太郎の様子は異様だったと言える。確かに、豊太郎はエリスを棄てようとしている。でも、その苦悩のありようは、尋常のものではなかったと言える。

あいか

まあ、それだけ苦しんだのなら、ちょっとだけ許してあげてもいいわ。

驚きしも宜(うべ)なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪はおどろと乱れて、幾度か道にて跌(つまず)き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪によごれ、処々は裂けたれば。
 余は答へんとすれど声出でず、膝の頻(しきり)に戦おののかれて立つに堪へねば、椅子を握(つか)まんとせしまでは覚えしが、その儘(まま)に地に倒れぬ。

あいか

えっ、何よ、これ。どうなったの?

出口

豊太郎はこの時意識を失い、エリスの前で倒れてしまったんだよ。

人事を知る程になりしは数週(ずしゅう)の後なりき。熱劇しくて譫語(うわこと)のみ言ひしを、エリスが慇(ねもごろ)にみとる程に、或日相沢は尋ね来て、余がかれに隠したる顛末(てんまつ)を審(つば)らに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕(つくろ)ひ置きしなり。余は始めて、病牀に侍するエリスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬(ほ)は落ちたり。相沢の助にて日々の生計(たつき)には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。

あいか

えっ、数週間も意識不明のままだったの?

出口

おそらく相沢謙吉も驚いただろうと思う。豊太郎の言葉を信じて、エリスとの情交はすでに断ちきったものと信じていた。ところが、訪ねてみると、豊太郎はエリスとその母親と暮らしていたときのままで、しかもエリスのおなかには赤ちゃんがいたんだ。

後に聞けば彼は相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄(にわか)に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵(たう)れぬ。相沢は母を呼びて共に扶(たす)けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髪をむしり、蒲団(ふとん)を噛みなどし、また遽(にはか)に心づきたる様にて物を探り討(もと)めたり。母の取りて与ふるものをば悉(ことごと)く抛(なげう)ちしが、机の上なりし襁褓を与へたるとき、探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。
これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆(ほとんど)全く廃して、その痴(ち)なること赤児の如くなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病(やまい)なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院(てんきよういん)に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔(ききよ)す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをりをり思ひ出したるやうに「薬を、薬を」といふのみ。

あいか

いやああ、エリスが可愛そう。だって、精神に異常を来したのでしょ? エリスは帰ってこない。もう取り返しが付かないのよ。

余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍(かばね)を抱きて千行(ちすじ)の涙を濺(そそ)ぎしは幾度ぞ。大臣に随ひて帰東の途に上ぼりしときは、相沢と議(はか)りてエリスが母に微(かすか)なる生計(たつき)を営むに足るほどの資本を与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。
嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(のうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。

あいか

豊太郎はすべてを相沢謙吉のせいにしているのかしら?
ふ~う、なんか胸の中がすっきりしない。
どうしたらいいんだろう?
先生、この乙女の胸の奥にある棘をとって下さい。

ー謎を解く鍵は冒頭の一文に

出口

まず最初に確認しておかなければならないこと。
作品冒頭をもう一度読んでごらん。

此(この)恨は初め一抹の雲の如く我(わが)心を掠(かす)めて、瑞西(スイス)の山色をも見せず、伊太利(イタリア)の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭(いと)ひ、身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳(かげ)とのみなりたれど、文(ふみ)読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度(いくたび)となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷(しよう)せむ。

出口

この文章が作品末尾の「されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」と呼応していることは分かるだろ?
もちろん末尾の一点の憎む心は相沢謙吉をさしている。そして、豊太郎は、エリスをベルリンに残したまま、帰国の途につく。数ヶ月の船中の中で、一点の彼を恨む心は次第に大きくなり、「腸日とに九廻すともいふべき惨痛」とある。
これは恨みではなく、惨痛とある限り、もはや相沢謙吉に対する恨みと読むことはできないんじゃないか?

あいか

先生、じゃあ、いったい何に対する痛みなの?

出口

これが第一の謎だよね。
そして、それはやがて「一点の翳」となるのだから、おそらく豊太郎は帰国後も生涯この「一点の翳」を心の奥深いところに隠して、何事もなかったように生きていかなければならなくなる。
もちろんこれは「恨み」の変形であることには代わりがない。だが、ただ、単に相沢謙吉一個人に対する恨みではなくなっているではないか。

あいか

やっぱりわかんないよお。先生、教えて?

出口

さて、豊太郎が有罪か否か?
もちろん豊太郎が有罪であることは疑いがない。
でも、現実には豊太郎はエリスを棄ててはいないんだよ。

あいか

えっ、先生、それどういうこと?

出口

棄てることさえ許されなかったんだ。豊太郎は相沢謙吉にエリスとの情交を断つことを約束した。でも、それをエリスには言えずに、苦しんでいた。
あの最後の夜、結局エリスをどうしても捨てることができず、錯乱状態に陥り、そしてエリスを一目見るなり、意識不明になる。

あいか

確かに豊太郎はエリスを棄てなければと思ったけれど、実際には捨てることがで きなかったのね。彼が意識不明の間に、相沢謙吉がやってきて、事の真相をエリ スに告げ、それを聞いたエリスが発狂する。

出口

うん、だから豊太郎が意識を取り戻したときには、すでにエリスは精神に異常を来していたんだ。相沢謙吉に対する恨みは、すべてが自分のあずかり知らないところで起こってしまったという恨みでもある。

あいか

豊太郎は相沢に情交を断つという約束をしたことは有罪だけど、実際にはそれを実行しなかったから無罪、あるいは情状酌量の余地ありか。

出口

その通り。では、何故数週間の意識不明という強引な筋立てを用意してまで、鷗外はエリスを発狂させ、豊太郎を帰国させなければならなかったのか?

あいか

う~ん、確かに不自然だわ。なんか推理小説を読んでいるみたいで面白い。
先生、早く謎解きをしてね。

ー「舞姫」は鷗外の贖罪の書

出口

若い鷗外が帰国した後、その後を追うように、エリスという一人の女性がドイツから日本にやってくる。

あいか

えっ、エリスって。あの「舞姫」の?

出口

ドイツ名はエリーゼ、長らくこのエリスという人物が実在するかどうか、論争の的だった。なぜなら、鷗外の「ドイツ日記」にエリスに関する記述は一切書かれていない上に、鷗外の家族が「舞姫」は架空の物語だと全面的に否定したんだ。当の本人は、一切それについて語らない。

あいか

で、日本に鷗外を追っかけてきたエリスは、どうなったの?
鷗外のことをよっぽど愛していないと、若い女性一人で日本まで来るはずもないもの。

出口

「ドイツ日記」は鷗外帰国後書き直されていた。普通、日記を書き直すことは滅多にない。おそらくエリスに関する一切の記述を、日記から消す必要があったのではないかな。
そして、家族全員の説得により、エリスを帰してしまう。エリスを鷗外には逢わせなかったらしい(一度だけ逢ったという説もある)。

あいか

そんなのひどすぎる。鷗外も鷗外だわ。そんな家族のいいなりになるなんて。
でも、どうして、そんなひどいことをしたの?

出口

ここで忘れてはいけないことは、鷗外は新帰朝者であり、しかも軍人だったということだ。そして、当時軍部の中でもエリス事件が噂になっていた。何としてもその噂をもみ消す必要があったんだ。
現に、帰国の翌年、赤松登志子と結婚、政略結婚である。エリスはドイツに帰り、すべてはうまくいった―はずだった。

あいか

結局は保身第一だったのね。太田豊太郎よりもひどい。
鷗外は有罪、絶対有罪よ

出口

ここで問題なのが、何故鷗外が「舞姫」を書いたかだ。
だって、あいかちゃん、どう読んだって、豊太郎は鷗外の分身に思えるだろ?

あいか

うん、鷗外そっくりだわ。

出口

しかも、「舞姫」の豊太郎は自分の立身出世と引き替えに、身籠もっているエリスを棄て、精神に異常を来した彼女を棄てて帰国した。

あいか

ひどい。本当に人間として許せない。

出口

実際、当時の女性雑誌など、当時の人もあいかちゃんと同じ感想を抱いたようで、豊太郎=鷗外と思い込んで、鷗外に対して非難囂々(ごうごう)だったんだよ。

あいか

そりゃ、当然よ。

出口

でも、変だと思わない? 鷗外の家族たちはエリス事件をもみ消すために、政略結婚までさせたんだよ。そうやって、せっかく嫌な噂をもみ消したのに、何故鷗外がわざわざそれを蒸し返すように「舞姫」を書いたのか?

あいか

あっ、そうか。第一、ヒロインの名前までエリス。まるで懺悔しているみたい。

出口

「舞姫」は鷗外の小説第一作。その晴れがましい作品に、僕には鷗外自身の深い苦悩が読み取れるんだ。
もちろん、「舞姫」執筆動機に定説はない。あくまで僕の推論に過ぎないが、「舞姫」は鷗外の贖罪の書ではないかと思うんだ。

あいか

贖罪? 鷗外は罪を犯したの?

出口

鷗外にとって、ドイツは生涯唯一の自由な世界だった。まさに自由な風に吹かれて、異国の金髪の女性と恋に陥った。
おそらく鷗外はエリスと結婚の約束をしたに違いない。自由な風の中で、鷗外は家族を何とか説得することができると思ったんだ。
そして、エリスは鷗外の言葉を信じて、単身日本を訪れる。

あいか

先生、鷗外はエリスを本気で愛していたの?

出口

もちろんだよ。おそらく鷗外の一生の中で、唯一本気で愛した女性じゃないかな。そして、生涯忘れることはなかった。鷗外の机の中には、終生エリスのイニシャルが付いたハンカチが眠っていたらしいし、晩年の作品の中にもエリスを思わせる女性がしばしば登場する。
単にエリスという女性を愛しただけでなく、エリスを中心としたドイツの思い出が鷗外の青春であり、そしてその時だけが唯一鷗外が一人の人間として生きることができたからじゃないか、僕にはそう思えるんだ

出口

鷗外が人間として生きた?
ということは、鷗外は日本に帰ってからは、一人の人間として生きてないの?
先生、ねえ、どうして?

ー最初の近代人・鷗外の悲しみ

出口

日本の帰国途上、その船中で鷗外は一日中考え続けたに違いない。自分を待ちかまえている封建的な世界、自分を取り巻く様々なしがらみ、聡明な鷗外はこれから先のことがありありと見えたに違いない。
だから、「舞姫」では、冒頭船中での苦悩の告白から物語が始まっていく。
一点の恨みは最初は相沢謙吉に対してのものだったかもしれない。でも、それはあくまで一点の恨みに過ぎず、船中で次第に凝り固まって腸九回する惨痛へ変わったのは、自分自身を待ち受けている運命そのものだっただろう。
そして、鷗外はそれに抗いがたいことを次第に自覚していく。
一瞬エリスを愛し続けることが可能だと思ったのは、自由な風が吹くあの夢の国故の幻だったのだ。
そして、あの時生じた恨みは、生涯鷗外の心の奥底にしこりとして残っていく。それを押し隠して、鷗外は生きていかなければならない

あいか

鷗外はあんなに苦労して留学して、あれほど勉強して帰ったのに、エリスも青春も夢も自由もみんなドイツに封印したのね。

出口

あっ、そうそう何故鷗外が「舞姫」を書いたのかだったね。
家族全員がエリスをドイツに追い返し、その噂をもみ消そうとした。あわてて、赤松男爵の娘と結婚させた。すべてが家のためだった。
だが、鷗外は生涯エリスを忘れることはなかった。
鷗外の心の奥に一点の恨みが残ったはずだ。

あいか

でも、やっぱり卑怯よ。それほどエリスを愛していたのなら、どんなことがあっても家族を説得したはずよ。

出口

あいかちゃんがそう思うのは、君がすでに近代人だからだよ。自我が芽生えているから、自分の意志で物事を決定することが当たり前になっている。
鷗外はともかく、少なくとも豊太郎はまだ封建人だったんだ。
明治の知識階級は江戸時代にはその殆どが武士階級で、個人よりも家や国家の方が大切だった。
恋愛はあくまで個人のもので、相沢謙吉に言わせれば、一個人の私情に縛られてはいけないとなる。
当時の価値観で言えば、恋愛よりも家や国家の方がはるかに重たい。ましてや、鷗外は新帰朝者で、当時の明治国家を背負っている。
家族全員でそう説得されたなら、鷗外は断腸の思いでそれを受け入れるしかなかった。

あいか

そうかあ。豊太郎にも鷗外にもちょっとだけ同情しちゃおうかな。

出口

相沢謙吉だったら、いとも簡単にエリスを棄て、それを当然だと考えたはずだ。豊太郎は自由な風に吹かれて、近代人としての自我が芽生えかけたところだった。
だが、それも一瞬の幻で、結局は家や国家から自由になることなどできなかったんだ。
敢えて言えば、豊太郎は一人の女性を棄てるのに、精神を喪失するほど苦しみ抜いた最初の近代人だったんだよ。

あいか

私、相沢謙吉をクールでかっこいいと思っていたけど、それは彼が封建人だったからなのね。

出口

それでも鷗外の心の奥底には一点の恨みが残った。
明治二十三年、鷗外は「舞姫」を発表、家族全員の前でそれを朗読したらしい。
「舞姫」を発表するや否や、世間でも非難囂々。新帰朝者ともあろうものが、異国で日本人の恥をさらした。そういった批判に鷗外は晒される。
実際、軍部はそうした批判を重視して、鷗外に文学活動の停止を命じる。以後、鷗外は後に軍医総監という最高の地位に上り詰めるまで、小説を書くことができなくなった。その代用として、様々な翻訳作品を発表することにはなるが。

あいか

何だか鷗外がかわいそうになったわ。
自分の気持ちを世間に向かって正直に言えばいいのに。

出口

鷗外は一切の批判に対して、かたくなに沈黙を守ったままだった。何も語ろうとしなかった。
あいかちゃん、考えてごらん。
「舞姫」は豊太郎=鷗外と自然に読めるようになっている。そして、豊太郎は精神に異常を来したエリスを棄てて、帰国する。当然、世間では鷗外に非難が集中する。現実にはエリスという女性が鷗外を追いかけて日本まで来たが、その女性は妊娠もしていなければ、発狂しているわけでもない。何故、鷗外はこんな小説を書いたのだろうか?

あいか

あっ、そうだ、確かに変。これ、変よ。「舞姫」を書くことで、鷗外は自分をわざわざ窮地に追い込んでいる。鷗外ほどの聡明な人なら、そのことは分かっていたはずだわ。

出口

そうなんだ。もちろん、豊太郎=鷗外とは言い切れない部分もあるし、これについても様々な異論がある。
でも、「舞姫」を読むと、僕には鷗外の悲しみが分かる気がするんだ。
現に、「舞姫」発表をきっかけに、子供が一人いるにもかかわらず、鷗外は突然奥さんと離婚してしまう。

あいか

えええっ。

出口

僕の推論はこうだ。
おそらく鷗外は異国の地で自由になりえたと思ったことがすべて錯覚だと思わざるをえなくなった。家族全員に説得され断腸の思いでエリスを追い返した。愛してもいない人間と結婚させられた。
すべてが家のため、国家のためと呑んできた。
でも、一点の恨みだけはどうしようもなかった。そこで、「舞姫」を発表。それは自分の自由を奪い取ったすべてのものに対する恨みの告白だったはずだ。

あいか

だから、作品の冒頭と末尾に恨みが述べられているのね。

出口

それと同時に、命がけで愛し、生涯忘れることのなかったエリスに対する罪滅ぼしだったのではないかな。だから、自分を悪者にし、しかも鷗外は一切弁解しない。まさに「舞姫」は贖罪の書でもあったわけだ。僕にはどうしてもそう思えるんだ。

ーみずみずしい感性が消えない鷗外の不思議

あいか

ところで、鷗外は自分の死を前にして、遺言を書き残している。しかも、わざわざ家族全員の前で、その遺言書を親友の賀古鶴所に朗読させているんだ。
何とも異様な光景だと思う。

余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所(かこつるど)君ナリ。コヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス。死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何(いか)ナル官憲威力ト雖(いえども)此ニ反抗スル事ヲ得ズト信ズ。余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス。宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス。森林太郎トシテ死セントス。墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラズ。書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ。手続ハソレゾレアルベシ。コレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サズ。

大正十一年七月六日

あいか

先生、賀古鶴所って、誰?

出口

鷗外の親友だが、実は相沢謙吉のモデルになった人なんだ。

あいか

えっ、あの一点の恨みの対象になった人?

出口

「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得ズト信ズ。」こんな不思議な遺言書はない。

あいか

ほんとう。鷗外は一体何を言おうとしたのかしら?

出口

「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
鷗外が言いたかったのは、この一文に集約されていると思う。

あいか

そんなことわざわざ遺言に書くの?

出口

文豪森鷗外でもなく、軍医総監の森林太郎でもなく、ただの石見人森林太郎として死にたいということ。
当時、軍医で最高の地位は中将止まりだったけど、死んだら一階級昇進して、鷗外は陸軍大将となる決まりだった。それも辞退せよといった内容なんだよ。

あいか

ああ、分からないわ。先生、一体どういうこと?

出口

一人の人間として死にたいということは、裏を返せば、鷗外は一度も人間として生きたことがなかったということじゃないかな。
もちろん、あのドイツ留学の時をのぞいては。

あいか

家のためお国のために自分を押し殺してだったわよね?

出口

でも、鷗外の不思議は単にそれだけではなく、軍医総監になった後、堰を切ったように次々と名作を生み出していった。
自分の青春をドイツに封じ込め、ひたすら一人の人間としてではなく、官僚として、軍医として、家のため国家のために自分を殺して生きてきた。
それなのに、あのみずみずしい感性は決して消えることなく、様々な作品にそれらは結実していく。そこに鷗外の不思議があるような気がするよ。
それでも、一点の恨みは生涯消えることがなかった。

あいか

何だか考えさせられちゃう。
私は今自由を当然だと思って、何も考えないで生きているけど、実は鷗外が自らの恋愛をドイツに封じ込めることで、近代という時代が開いていったんだわ。
私、反省しました。
今まで、自分の価値観や好みで、名作をかってに好きだ嫌いだって切ってきたけど、実はそうじゃないんだ。
その時代の状況や、その時の価値観をしっかりと頭に置いて、その作品を鑑賞しなければ、本当の意味で読んだことにはならない。

出口

あいかちゃん。ちょっと大人になったな。

あいか

それにもう一つ、お勉強しました。
教科書で習った文豪たちはみんな悩んで悩んで、そしてその先に私たちが今を生きているんだってこと。

出口

明治から近代が始まったけど、時代はずっと今に至るまでつながっているんだ。
歴史は因果関係を教えてくれるけど、文学はその時代に生きた人の、人間としてのありよう、そして精神の奥深いところを伝えてくれるんだよ。

 

<- 完 ->

珠玉の鴎外の言葉が出口の跳躍で。人生のヒントが凝縮。

超訳 鴎外の知恵

(翻訳)出口汪

明治の文豪・森鴎外の箴言集を、現代文のカリスマ講師と知られる出口汪が超訳。

文学がとんでもなく面白い。鴎外以外の作品も読もう。

教科書では教えてくれない
日本の名作

(著)出口汪

日本の名作が10倍面白くなる読み方!
カリスマ予備校講師・出口汪が日本の6大文豪の名作に隠された知られざるメッセージを読み解き、「名作が10倍面白くなる読み方」を紹介する。“先生”と女子高生“あいか”による「講義形式」で展開していく「楽しみながら読める!」スタイル。