HOME > 対談・真剣勝負 > 第六回 佐藤優

 

 

1分間勉強考
一流評論家、現代文参考書に出会う それぞれの宗教との出会い 宗教の外側から信仰の本質を
出口  もう一つ、僕が佐藤先生にどうしてもお聞きしたかったことがあるのですが、キリスト教には、どこで最初に出会ったわけですか?
佐藤  キリスト教は母親が信者でした。母親は去年死にましてね、父親は6年前に死んだんですけれども、父親は、最後母親がキリスト教の洗礼を受けさせようとしても、絶対に嫌だって受けなかったですね。父親の3代前は福島県にある臨済宗の寺なんですね。妙心寺派で、自力本願なんですよ。だから、キリスト教っていうのはどう考えても浄土真宗に似ていて、絶対他力におすがりする、という感じなので、どうも肌が合わないんだと父は言っていたんです。
  それで、母親はですね、今話題になっている市橋容疑者が逃げていたあのオーハ島がある、沖縄の久米島の出身なんです。その島には女学校がなかったですからね。昭和18年に、その島から沖縄本島に行って、昭和高等女学校っていうところで勉強していたのです。そうしたら、「2年生までは故郷に帰れるけれど、3年生以上は学徒隊に参加しろ」と言われたそうなんです。ひめゆり学徒隊のようなもので、その学校の場合、でいご学徒隊という名称だったそうですけれど。
  母親は2年生だったのですが、全部空襲で焼けちゃって、もう故郷に帰る船がないんですよ。するとそのままのたれ死にしないとならないんですね。
  たまたま、3人姉妹の全員が沖縄本島にいて、そのうちの一番上の姉が、日本軍の第62師団、通称石部隊の軍医部にいたので、母親は14歳で軍属になったんです。そして、沖縄戦を最初から最後まで軍徒と丸々一緒に行動して、前田・幸地の激戦では米軍のガス弾をくらったりとかもしたそうです。
  最後は、手榴弾を2つ渡されましてね。日本軍が組織的な抵抗をやめた後、7月になってもずっと、摩文仁の壕に潜んでいたんですよ。しかし17人で壕に潜んでいるところを、米兵に見つかっちゃってね。「手を上げて出てきなさい」って言われて、母親が一瞬黙った瞬間に、横にいる髭ぼうぼうの伍長が手を挙げて、救われたと。もし手榴弾をサンゴ礁に打ちつけたてたら、4秒から5秒で破裂して、即全員死んでいたんだけれども。
  その時の経験を通じて、「ああ、やっぱり何か頼るものが欲しい」と思ってキリスト教に入ったんですね。
出口  ああ、でも、その時に亡くなられていたなら……。
佐藤  僕は生まれてこなかった。
出口  そうですよね。
佐藤  母親は、ものすごい数の手紙と写真を持っていたんですって。というのが、実は日本軍は沖縄で航空決戦をするつもりだったんですよ。ところが、飛行機は全部焼かれてしまったので、その人たちはみんな斬り込み特攻に行くわけです。
  その斬り込む前――死んでいく前に、「家族に届けてくれるか」、「お母さんに渡してくれ」って言われて、大量の手紙や写真を預かった。ところが、摩文仁の丘で米軍に捕まった時に、それを全部取り上げられてしまうんです。
  ところがね、ポケットの奥に一個だけ、小さな太鼓型のお守りが残っていたんです。この前母親の遺品を整理していたら、それが出てきました。
  それは田口という少尉から預けられていたんです。それが、母親が沖縄戦に従軍した唯一の物証なのです。戦後、父親がその田口少尉のお母さんを見つけて、一回返したのですけれども、お母さんが「息子があなたに渡したものだから、ずっと持っていた方がいい」と、また戻してきて……。
  母親はこういう戦争体験をしたから、クリスチャンだけれども、靖国神社へも隠れて通っていましたね。自分の姉が死んだということもあるし、斬り込み前にたくさん形見を預けてくれた、それこそ何十人の、若い兵隊たちにですね、おそらく申し訳ない、という思いがあったのでしょうね。
  ですから、キリスト教徒なんですけれども、人に洗礼を受けろとかいうことは全く勧めなかったんです。ただ、本人は、やっぱりキリスト教が救いだと思ったんでしょうね。
出口  佐藤先生ご自身も、今、キリスト教に関していろいろとお考えがありそうですね。
佐藤  ええ、僕自身も信者ですからね。神学校の1年生の時に洗礼を受けました。僕は結構突っかかっていく感じなので、自分の宗教的な残滓を拭い去りたいと思って、宗教批判の勉強をやろうと同志社の神学部に行ったんですよ。ところがまあ、2000年も続いている宗教っていうのは、本当に狡猾に出来ているので、半年くらい勉強して、自分の考えているようなキリスト教観は間違いだったということがわかって、キリスト教の軍門に下って、そのまま続いていくんですね。
出口  そうなんですか。面白いですね。
佐藤  ただね、ここ数年は教会に行っていないんですよ。ある日、日本の教会に神様がいないように思えてきてですね。
  それはその、逮捕されたあの事件の後、外に出てきたら、東大の名誉教授のある先生が気を利かせて、大学院の就職の斡旋を、キリスト教系の学校でしてくれようとしたんですね。そうしたら、そこの学長さん、有名な神学者なんですけれども、「まず無罪をとってから来い。話はそれからだ」と言ったそうなんです。その話を聞いた瞬間にですね、あれ、キリストっていうのは、刑事被告人で、しかも死刑囚だったんではないかと。こういう感覚の人たちがいる教会ってどういう教会だと思ったら、急に教会に行く気がなくなってしまったんですよ。やっぱり、自分で、そこに神様がいないと思っているのにそういう場所に行くっていうのはよくないですからね。
出口  そうですね。
佐藤  ただ、時々、神学部の友人が牧師をしている教会に行くことはありますけれどもね。そんな感じです。
出口  そうですか。
出口汪と大本教
出口  僕自身、出口王仁三郎の曾孫にあたるのですけれども、まあ、ちょっと特殊な環境にあったので……。 僕の父が小学生の頃に弾圧があって、父から見ると祖父である王仁三郎や父親をはじめ、一族全部が牢屋に入るわけです。6年8ヶ月投獄された後、無罪になったという弾圧事件があって。
  その当時父は、「王仁三郎は、道鏡のような逆賊である」という風に学校でも教わって……、だから、まさに逆賊の子どもが学校にいるわけですから、手ひどくいじめを受けたりするんです。そういう環境の中で、父は家出をしたりとか、そういう屈折した状況が続いていたみたいでして……。
佐藤   お父さんは何年生まれなんですか?
出口  昭和5年です。
佐藤  じゃあ、私の母親と一緒ですね。
出口  そうですか。
  逆に言うと、一族の誰もが牢屋に入って拷問を受けていたので、そのかわり戦争には協力せずに済んだわけですけれども、そういった意味で、国家とか権力とか、あるいは神とかに関しても、僕自身も非常に複雑な思いが少しあるんですよね。
佐藤  やっぱり特に、国家に対する思いがあるのではないですか?
  僕が神学部にいる時、「日本の諸宗教を学ぶ」ということで、組織神学というのを勉強したんですよ。組織神学というのは、かつての護教学なんです。で、その護教学の中には、論争学と弁証学というのがありましてね。論争学というのは、「キリスト教の中で自分たちが正しいんだ」という理屈です。それに対して弁証学というのは、「他宗教との関係において自分たちが正しいんだ」ということです。
  神学っていうのはいい加減な学問で、結論が先に決まっているんですね。「どんな形だって自分たちが正しいんだ」と。あとはどういう風に理屈を組み立てるか、という訓練で、このことは、役人になったら役に立つのですけどね(笑)。
  その時に、例えば「あなたが大本教徒だったらどういう風に判断するか」、「あなたが日蓮宗の信者だったらどういう風に判断するか」っていう訓練を受けるわけなんですよ。
出口  なるほど。
佐藤  ゼミでもそれぞれの分担を決めて勉強するんです。そんなことをやるので、基本的には大本教についても大枠だけなのですけれども、勉強するんですね。その中で、神学部の先生がいつも強調していたことは、「戦前の歴史の中で、本当に徹底的な弾圧を受けたのは大本教だ」と。「それも一回じゃなくて、二回も弾圧を受けている。特に、第二次弾圧というのは徹底していた」と。それで、神学部の先生で、綾部と亀岡に行って、いろいろとインタビューしている人もいましたね。
  それで特に、平和運動、弾圧後の戦後の平和運動、それからエスペラント――これは戦前からですね。それらの運動の中でやられていたことっていうのは、大本教の中にある普遍的なものと、日本固有のものであって、そこのところっていうのは、キリスト教がやっていなかったところに手が届いているっていう……、これが、その神学の先生たちの見方でしたね。
一神教と多神教
出口  僕は、王仁三郎の思想でちょっと面白いと思っていることがありまして。佐藤先生に本当に話したかったのですけれども、一番言いたいのが「万教同根」という思想なんです。万の教えは同じ根っこであると。だから、王仁三郎はパフォーマンスをして、自分はイエスだし、釈迦の生まれ変わりだし、それから、孔子の生まれ変わりだって言っているんですよ。実際の生まれ変わりかは別として、おそらく一つの大きなパフォーマンスだと、僕は考えているのですけれど。
  要は、根っこは同じなのだということ。よく神道の「八百万の神」という概念は多神教だと言われますけれど、王仁三郎いわく、そうではなくて「一神すなわち多神」であると。要はレトリックですよね、宇宙を作った根源神は一つなのだけれども、それが様々な時代や場所に応じて、様々な形を持って表れてくるという。
佐藤   それは、ヘーゲルとかクザーヌスなんかにもつながる、全一性みたいな観念として非常に面白いですね。
  それから、日本の新宗教の機縁を見ると、大本教の影響を受けていないのは、日蓮宗系の教団を除けばほとんどないんですよね。だから、何らかの形で、大本教のドクトリンの影響っていうのはみんな受けてますよね。
出口  そうですね。今の世界の緊張状態の原因には、やっぱり一神教的な発想というのがすごく影響していると思っています。どうしても、キリスト教、それからユダヤ教、イスラム教となると、自分たちが神で相手は悪という形で、善悪のフィルターをかぶせて見てしまう。その中で、大変な緊張状態が生まれてしまっている。
  でも仮に、同じ神を信仰しているとすると、そのレトリックを絶対と信じ込んで、排斥のために殺しあっていた歴史っていうのは、ある意味でクルッとひっくり返ってしまうと思うんですよ。
佐藤  おっしゃる通りです。だから、この一神教がなぜ寛容でなくなったのかと。本来一神教っていうのは、私は非常に寛容なものだと思うんですよ。
出口  イエスの教えなんかそうですよね。
佐藤  というのは、エルサレムを見てわかるように、一神教徒っていうのは、他の人の宗教に関心ないんですね。
  自分と神様の関係での救済にしか関心がないですから。だから、イスラム教の連中はキリスト教のドクトリンを知らないし、キリスト教の連中はイスラムのドクトリンを知りません。ユダヤ教の連中もキリスト教のドクトリンを知らない。要するに、信仰の形態が、神様と自分たちだけの結びつきである以上、周辺に対しては、危害を加えてこない限り無関心だったのです。
  しかし、やっぱり帝国主義の時代になるとともに、どこか国家との結びつきが出てきたわけです。そして、自分たちのドクトリンを他者に広げるという考えが入ってきてしまったと。
  だから、多神教であっても、例えば、オウム真理教が仏教から派生した宗教であることは間違いないですよね。あるいは、タイのこの前の内乱。あそこにいる人たちも、けっこう仏教徒が多いはずです。それから、スリランカでの内戦。仏教徒のテロリストがたくさんいるわけです。多神教でも非常に暴力的なものもある。
  そういう意味では、宗教そのものが、何らかのきっかけで非常に危険なものになってしまうと言えるのではないでしょうか。